《雪の女王 その2》
本日は、月曜記事にてご紹介した『雪の女王』についての読み解きをご報告する。
前回申し上げた
「虚空からのメッセージを受け取るのに必要なポイント」
「モノコトの自然な流れに乗るポイント」
は、ガーダの旅立ちについて書かれている部分から、知ることが出来る。
ガーダは、「カイに生きていて欲しい!」と願った訳ではなく、願望を膨らませ闇雲に「カイはきっと生きてるわ!」と信じた訳でもない。
カイが居ないと言う事実を受け止め、溺れて死んだのだと言う意見も否定しない。
その上で、溺れたなのらそれを知っているだろうし返してくれるかも知れない川に向かって尋ねてみたのである。
そこに、こうあって欲しいものは何も差し挟まれていない。
彼女はその礼として、買って貰ったばかりの赤い靴、自分の持っている最新かつ大事なお宝を惜しみなく差し出す。
ところがそれは戻って来た。
差し出したものを惜しく思う者なら、そそくさと引っ込めたりもするだろう。
ガーダは引っ込めずに川の奥にまで踏み込み再度投じた。
その時に、図らずもの船出が実現。
カイに会う為の道が開かれた。
知りたいことを願望で歪めないこと。
知ることについて惜しまないこと。
この二つのポイントは進化変容の旅を進めるにあたっても、同じである。
起こることをありのままに受け入れて、その中で出来ることを惜しまない素直な女の子の大冒険。
“血沸き肉躍る様な”不覚的派手好み、読者が意識に内包する正義感と残虐性を同時に満足させる作りはこの作品の中で、ないこともないが、血生臭さは希薄である。
危険を持ち込むのは、破片となった鏡や命を奪いかねない極端な寒さや雪、後はオマケみたいに出て来る荒くれ者の山賊達位。
ガーダの馬車を運転していた御者や、先乗りや従者は山賊に殺されるが、そうなったと書いてあるだけで描写はない。
ガーダ本人は怪我もしないし彼らの棲み処に連れ去られた後、山賊の娘とそこでたらふく飲み食いしたりしている。
死に酔う情動がなく、全然争いにならない。
物語の中に出て来る戦闘らしいシーンも、雪と雪との戦いでガーダは参加しない。
雪の女王を守る、生き物の様に動ける雪で出来た獣や蛇を見て、思わずガーダが唱えた「主の祈り」。
それによって彼女の口から出た息が、槍や盾を持った天使の一連隊に変わり、それが獣や蛇を突き崩す。
発せられたのは祈りであり、「来ないで」と言う懇願でも「消えろ」と言う呪詛でもない。
『主の祈り』には、不覚宗教の産物らしく「我らを試みにあわせず、悪より救いいだしたまえ」とバッチリ書かれている。
お救いを求めるこの内容を、ガーダは意図せずして「思わず」唱えている。
この何も「思わず」が、世に満ちる願望ありきの祈り達とは違う所だ。
祈ることで、ガーダは何を求めたか。
それは主の助けではなく、自らの「それでも前に進む力」の呼び起しではないだろうか。
我知らず唱える祈りが、その時に最も必要なものを生んだ。
この作品は、「計略なしに道を切り開くことは可能である」と言うことも教えてくれる。
むしろ計略のないことで自動ドアみたいに道が開いている。
ドアによってはちょっとガタピシして開くのに時間がかかったりするものもあるが、ガーダは一度も相手をやっつけたり陥れたり出し抜いたりしていない。
憎んだりもしていない。
カイを連れ去った、雪の女王のことさえも。
彼女の進む理由は「カイに会いたいから」「会えたらカイはきっと喜ぶから」「カイを連れて帰ったら待っている人が喜ぶから」
そうしたものだけ。
敵意なき冒険も存在するのだ。
女王と入れ替わる様にカイの前に現れたガーダは、誰を憎むこともなく傷つけることもなく、熱い涙をカイの心臓にまで染み渡らせる。
そしてその涙は、鏡の破片を乗せてカイの涙となって目から出て来る。
「ガーダの涙は、カイの涙…」
読み始めた当初から、これが人間の男の子と女の子の形を借りて書かれた、「ひとりの人型生命体に起きること」なのだと気づいてはいたが、この涙の巡りによってそれが一層確かになった。
そして初めは「カイとガーダは、それぞれ成長途中の男性性と女性性を表すのだろうな」としか気がついていなかったのが、更に理解が深くまで進んだ。
確かに、初めの読み解きも誤りではなくそうした面もある。
だが、この物語を幾度も味わうことで、見えて来たものがあった。
それをお伝えする前に、まず雪の女王とは何かを申し上げることにする。
ガーダが宮殿に到着する前に、雪の女王はその場を離れる。
そもそもガーダは雪の女王について、聞いたことはあるが、実際に出会ってはいない。
女王を垣間見るのも、連れ去られるのも、口づけされるのも、カイだけである。
雪の女王とガーダは、同時に存在することの出来ないものなのではないかと、気がついた。
女王は氷を集めて作った宮殿に居る時には大広間の中央にある罅割れた鏡の様な氷の湖、その真ん中に座っていると言う。
そして口癖のように言う。
“「わたくしは、「理性の鏡」にすわっています。
この世にひとつの、これ以上はない、すばらしい鏡の上に」”
全ての欠片が均等に罅割れて組み合わさっていると言う、精巧な作りの大きな氷鏡。
だが、割れていればどれ程美しくともそれは部分部分からの見え方の寄せ集まり。
その上に座る、理性の形作る人工美を束ねる存在。
雪の女王とは、『理想』の象徴である。
では、その理想と入れ替わりにやって来たガーダは、そしてカイとは一体何の象徴か。
ここについては、かなり丁寧にお伝えする必要がある。
その為、来週の月曜か木曜記事のいずれかで更にもう一回、本作について書かせて頂くことになった。
それまでの間、気が向かれた方は、彼らが意味するものについて意識を向けてみて下さることをお願いする。
理想の形を溶かすもの。
(2021/1/28)
1月のふろく《雪の理想鏡》
今月は、理想に文字の形を与えて観察できるふろくをご用意しました。
白い紙を用意し、「これまで意識の中で育んで来た理想達」をそこに、有るだけ書き出して下さい。
それらの理想達をつぶさに観察し、共通する部分を見つけて集約し、結局何を欲して来たかをまとめ上げ、結晶の様に圧縮して、一文におまとめ下さい。
ふろくを印刷し、スノードームの中に浮かんだ紫色のダイヤ型に、仕上がった言葉の結晶をお収め下さい。
そしてその理想鏡に書かれた求めが、
「果たして全体の弥栄にどれ程通じるものなのか」
天意からの愛に照らしてご覧下さい。
部分の繁栄ではなく全体の弥栄です。
そして当たり前に、全体に欠けはありません。
雪の理想鏡は、次週のふろくと対になります。
まずは、凍れるもの達を書き出し、それらとじっくり向き合われることをお勧め致します。