《闇からの祝福》
ルパンとクラリス、そして伯爵。
彼らが最後に対峙するのは、作中に何度も出て来る時計塔。
BTTFでもそうだったが、人生の大一番が時計の文字盤の前で繰り広げられるのは、『時間軸にケリをつける』ことの大切さを表している。
そのことを裏付けるのがこの対峙の結末。
それはどちらかがどちらかを殺すことでは終わらない。
ルパンの命を助ける為、伯爵を道連れに塔から飛び降りようとするクラリス。
その頭を伯爵が踏みつけ、彼女だけを蹴落とすと、迷わずルパンは飛び降りてクラリスに追いつき、共に城下の水底に向かって落ちる。
この顔をご覧頂ければ分かる様に、ルパンは落ちながらも決して破滅を意識してはいない。
どういった状況下でも、彼の意識は破滅を志向しない。
一方、勝ち残った伯爵が定められた場所に指輪を納めると、文字盤の針が動きだした。
二つの針が頂点で重なり一つになる瞬間に、間に挟まれた勝者を圧殺。
対峙したいずれかがでなく、
ゼロがケリをつけた。
勝者を気取った偽の影を滅した、ゼロと言う真の影。
そのお陰さまでゼロへの帰還を合図に、時計塔は崩れ落ち、同時に水も引き始める。
落ちたルパンとクラリスは溺れることなくローマ水道から脱出し、秘められた先祖の財宝が姿を現したのを目撃する。
ローマ人の残した遺跡。
ルパンのポケットには大きすぎる人類の宝だった。
引いてもまだそこかしこに流れる澄んだ水の清らかさ。
その上に、解放を祝うように朝日が差す。
表向きは少女の優しさへの恩返しや、冒険心、茶目っ気に包んだ騎士道精神みたいなものとして現われているルパンの行動。
だがその中心にあるのは、彼を通して湧き出す全母の天意だ。
自由になったクラリスがルパンに向かって、一緒に連れて行って欲しいと願うシーンでそれが良く分かる。
ルパンの胸に飛び込むクラリス。
大抵、ここでギュッと行く。
だが、ルパンはそうしない。
優しく諭すルパンに、そっと目を閉じて上を向くクラリス。
「連れては行けないけど、好きだぜ」ならば、キッスはリクエスト通り唇か、少なくとも頬にではないだろうか。
ところが、
ルパンのキスはおでこ。
このシーンを観ていてふと気がつき、胸が熱くなった。
ああ、これは祝福じゃないか。
自由になっておめでとう。
闇の中に戻るのではなく、日のあたる場所で思いきり輝きなさい。
古い血の因習は解き放たれた。
全てがゼロに還り、真の生はこれから始まるのだから。
そんな歓びを込めて、個の自らに対する見返りは何ひとつ求めずに只、純粋に祝福を贈ることが出来る。
これが全母性。
全母には、ゲットすると言う性質はない。
何故なら全母そのものが、万物の大元、つまり全てだから。
解き放ち、祝福するのが全母である。
その全母の性質が、普段は泥棒をはたらくスポーツ刈の男に花開いている。
諸々ひっくるめて、訳の分からない感動がこみ上げて来る素敵なシーンだ。
連れては行けないが、何か困ったことがあったら、地球の裏側からだってすぐ飛んで来ると約束するルパン。
これは光と闇が表裏一体であり、常に共に在ることを表している。
闇に生き、自ら「薄汚れている」と言う泥棒から溢れる全母の天意。
なら、どこからだって溢れるのじゃないだろうか。
そう、どこからだって
どこへだって溢れる。
そしてそれは水の様に沁み渡り、潤し、活かし、万物を栄えさせて行く。
そのことを教えてくれるのが、ルパン三世とカリオストロ家の物語なのだ。
汲めども尽きぬ全母の天意。
(2018/2/1)