彼らとそのガールフレンドは、
ゴロ&そばかすのかわいいアイちゃん
ピカ&スポーツ大好き少女のラブちゃん
ドン&リボンをつけたオシャレなユウちゃん
の、組み合わせとなっており、彼女達は
「3人揃って、アイ、ラブ、ユウというかわいいカミナリガールズなのです。」
と、説明されていた。
ゴロピカドンは長男・次男・三男の順で行けばドンゴロピカであり、それぞれの彼女も並べ替えると、ユウアイラブとなる。
「ふ~む、これだと何だか分からないなぁ」
となったが、何だか分からなくなっているこの状態こそが、重要なメッセージなのだ。
ゴロピカドンについて先の記事で、観察によって「成る程これは神であり、又、神ではない者なのだと言う気づきに至った」と書いた。
「ドンとは何か」について意識を向けたことがその切っ掛けになった。
物理次元に響き渡るドーーーンとは、物の起こりとしては「結果」にあたる。
不覚の分割意識は何か事を起こそうとする時、意を放つ前に「有って欲しい結果」を念頭に置いている。
その有って欲しさは、不覚社会において既に「これが正解」「これが勝利」「これが成功」と評価された状態に影響されている。
それらをまんま踏襲するかブレンドするなどして多少のアレンジを加えて飾り、まず先に、欲しい結果を思い描く。
結果が長男、これがドンゴロピカである。
これは違う雷だが、やはり三名であるのが興味深い。
不覚の意識としては「ドンゴロピカドーーーン!」と行きたい所だろうが、実際は前もっての思考を使ったドン描きに力を削がれて、ゴロも中立でなく斜めになるので、ピカも自然と勢いを失う。
それで又、別のドンを描き、と未消化なままの具現化を繰り返す。
素直な意志の発動が担当するはずだった起点の座を思い描きが盗んでそこに割り込むと、実際の結果が萎む。
盗めば減る。自他はないからである。
この様なエネルギー漏れを起こすドンゴロピカが沢山居るのに、物理次元には結構色んなものが生み出されている。
凄いことである。
それだけ全母たる虚空の放つエネルギーが豊かであるのと、個を超えた意志で放つ、前もっての思い描きで歪ませないゴロピカドンが不覚の世にも多少は起きているからだろう。
意志の「志」は前もっての思い設けや慮りとは違い、意識を中立にする柱や明々と照らす燈明の役割をするのみ。
志は澄み渡り立つだけで、何も予測しない。
只ひたすら、今にあるものだからだ。
ゴロピカドンとは、未だ御神体との結婚に至らず“分神”となっていない、不覚の分割意識の象徴である。
変容と言う結婚が成される時、エゴで歪めた思い描きではない、全体の流れに沿った自由意志による輝ける創造が起こり、世界はこれまで見たことも無い様な素晴らしさを明らかにする。
彼方と此方がバラバラになり愛が勢いを失っている状態も変化し、全なる虚空が無数の端末同士を生むことで可能にしたアイからユーへラブを送る流れは広く深くなる。
ドンを長男に置くことで起こるガチャつきが、彼らに雨を嫌わせているのだと気がついた。
雨は時間や場所を決めて降らない。
受け取る側の都合や思い描きで、降る降らぬを操ることも出来ない。
細かく、広く、何処にでも浸透し、そして流れて行く。
雷も行き先や時期を操作出来ないがピンポイント、つまりは部分である。
部分嗜好は全体性を嫌う。
ノーベル賞を狙うと言った先読みをするドンが音頭を取るのをやめて、自然な創造役としてしんがりに回る時、彼らは雨を嫌わなくなるだろう。
その時、ノーベルも驚く様な未知なる創造が起こり、繁栄の花火が上がって世を照らす。
全力を尽くそうとする時、エゴを含んだ思考による結果のデッサンはエネルギーを大きく消耗させること。
愛の循環も滞らせること。
神に成り行く途中の「かみなり」状態の三兄弟と、彼らの大事なガールフレンド達はそれを教えてくれているのである。
かみなる道は、描けない。
(2021/10/7)