《調和と不調和》
先週お伝え申し上げた通り、刑事コロンボシリーズの第一作『殺人処方箋』について書かせて頂くのだが、必要なことをどんどん盛り込んだらびっくりする位に量が増えた。
その為、本日と来週に分けてお届けすることになった。
本作は、精神科医レイ・フレミングとその妻が自宅で開いたパーティーの場面から始まる。
自宅と言っても家庭的な雰囲気はなく、当夜のパーティーも、裕福かつ地位も教養もある一部の人々による社交の場。
それは「人生が上手いこと行っている」のをアピールする絶好の場でもある。
主催者である夫妻は、妻だけがその気満々。
一方、自分ら夫婦の幸せぶりを示すことに興味のなさそうな夫。
頭の中は綿密に立てた計画のことで一杯で、それどころじゃないからだ。
そんな時に主治医である彼を頼って、患者から一本の電話が入る。
落ち着かせに行かなくてはと、焦るフレミング。
仕事だから仕方がないとか尤もらしいことを言うと、客の手前態度には出せないが怒り心頭に発している妻を残して出かける。
行って宥めなくてはならないのはそりゃそうで、彼が計画した妻殺しの大事な共犯者がその患者だからである。
患者かつ愛人なので、甘えさせてご機嫌を取り、セーフとばかりに帰宅。
今度は、おかんむりで離婚を切り出す妻に苦しい説明を繰り出し、明日から夫婦二人きりでする旅行を内緒で計画していたことを知らせて一気に逆転。
その旅行が、自分を殺す計画の重要なアリバイになるとも知らず、感激してウキウキする妻。
怒っていた時の迫力や、実家の財産目当てもあって夫が自分と結婚したことを知っていると匂わす態度は中々にきっつい感じだが、このコロッと可愛くもなる所は実に人間味溢れる姿。
只、そんな妻の喜びも夫の心には届かない。
計画通り、翌日自宅を出る直前に妻を絞殺し、愛人に妻の服を着せて一緒に空港へ出発。
乗り込んだ機内で夫婦喧嘩を演じて周囲に印象付け、妻の振りをした愛人だけを帰らせてフレミングは一人で旅へ。
物取りの犯行に見せかける為に自宅から持ち出した金目のものも、旅先で釣りをしながら海に捨てる。
見事な段取り。
その一部始終を知る観客は、犯人と違っておっかなびっくりな共犯者の行動に事件を解く為の多少の綻びを発見するが、同時に計画の抜け目なさも十分知ることになる。
これをどうやって崩すのかで、面白さが増すのだ。
「自分が居ない間に起きた殺人事件」で、てんやわんやになっているだろうと思いつつ旅行から戻るフレミング。すると、
何と妻が死んでいない
ことを知り、自分の内心がてんやわんやに。
その場面で、やっとコロンボが登場している。
コロンボ役のピーター・フォークはお肌がツルっとして、服もくたびれていない。
最初から、あのヨレヨレのコートを着ていた訳のではないのかと、観ていて面白かった。
犯人に向かい合うとコロンボの方が背が低い。
見た感じ凡庸で、庶民的で、仕事の話に「うちのかみさん」とかちょくちょく家庭のことまで挟んで来る呑気で小柄な男。
それを、公務員よりずっと財産家で、背も高く、精神科医としてそれなりの地位もある犯人は、最初あまり警戒していない。
だが、次第に「何かヤな感じ」がじわじわと増して行くのを観ていて分かる所が、『刑事コロンボ』の面白さの一つ。
自分よりまるで賢そうに見えない相手が、
ゆっくりゆっくりと真実に近づきつつあるのを、
賢いはずの自分に止めることが出来ない。
コロンボシリーズでは犯人の多くがその焦りと苛立ちに苦しめられるが、この精神科医の先生もそうである。
その上、「妻死んでない騒ぎ」まで起こるし。
これに関しちゃコロンボのお手柄ではなく、ちゃんと死んでるか落ち着いて確認しなかったと言う凡ミスである。
とは言え、何でも初めてでは勝手が分からないだろうし、まして殺人なので練りに練った計画でもやはり少々緊張した部分はあるのかも知れない。
妻はよっぽど悔しかったのか、土俵際ギリギリで暫く持ちこたえた後、最後に夫の名を言い残して絶命する。
それ聞いて内心ドッキドキ。
「おのれも道連れじゃ!」の怨念を感じる。
どうにかこうにか計画を完遂出来た犯人だったが、捜査の手は徐々にのびて、コロンボからしょっちゅうつつかれる羽目に。
その中で、話に紛れてちょこちょこ現れるかみさんの影。
かみさんをその手で殺めた男が、
かみさんかみさん言う男によって、
次第次第に追い詰められていく。
人の中にある男性性と女性性に注目してこの作品を観ると、奥深いメッセージが伝わる。
内なる男性性と女性性が調和している者は、邪魔な相手を都合よく厄介払いして好き勝手しようと目論んだりしない。
そんな必要ないからである。
世界も人生も自分の為にあり、邪魔者は排除する。
これは、実はフレミング夫妻の妻についても同じことが言える。
自分の望み通りの夫にならない男なら、離婚して厄介払いする。
この夫婦は共に男性性が強く、どっちが主導権を握るかでその男同士が争っていた。
激しい争いの末に不意打ちを食らって負けた男、つまり妻の男性性が女性性もろとも消されたと言う訳で、フレミング夫妻はある種似たもの夫婦だったのだ。
人型生命体の夫婦どちらにもそれぞれの男性性女性性があり、以前にお伝えしたこともあるがそうした意味では、夫婦はペアでなくカルテット。
調和VS不調和では勝負にならないなど分かり切ったことだが、この作品がどの様な結末を迎えるか、そこから起きた気づきも含め、次週申し上げることにする。
鍵を握るもう一人の女。
(2020/5/21)