《男の勲章》
“つっぱることが男の
たった一つの勲章だって
この胸に信じて生きてきた”
1982年リリース。
ツッパリ・ムーブメントの渦中にいたことがないせいか、今までこの文言について特に着目する機会がなかった。
だが、改めて見つめると大変にシンプルな台詞であることに気づかされる。
何しろ、勲章が“突っ張ること”オンリー。
名誉とか、地位とか、財産とか、素敵な恋人や結婚相手とか、過去のどっかしらとか、未来のどっかしらとか、そんな所に勲章がないのだ。
たった一つの勲章が、突っ張ること。
突っ張りとは、何か。
それは、
瞬間の
最大燃焼。
我々は全母という0から放たれる1。
この1が惜しみなく全身全霊で完全なる1となりきった状態が「突っ張り」。
突出して張るには、何であれ惜しんでなどいられない。
そして、地に足がついてこそ突っ張りは可能となる。
真価を発揮する動きの中で、たとえ他の端末とぶつかろうが発揮が阻害されることは、本来ない。
表向きは2位となったり、ブービーとなったり、何かしらの査定に組み込まれるかも知れない。
だが、裏の全母から観ればそれは最高の2位であったり、最高のブービーであったりする。意識が汚してしまいさえしなければ。
誰のどういった結果であれ、惜しみなく発揮すればそれはいつだって最高の一瞬としてそこに輝く。
男性性を担当する分割意識が本当に成し遂げたいのは、その「突っ張り」。
それがいつの間にやら、「他よりも目立っている」ことを「突っ張る」ことだと、意識達が誤解する様になった。
切磋琢磨は必要でも、一等賞が欲しいあまりに「他が自らより冴えないものとなる」ことを望んでは、まるっきり本末転倒となる。
全母は「他の子を抑えて輝く子」を望んではいないし、そんな子は全然突っ張れていない。
何故なら突っ張りとは、誰とも干渉し合うことなく、最大真価を発揮する、孤高の在り方だからだ。
協力し合うことはあっても干渉はしない、それが突っ張り。
群れて暴走するだけなら不良。
混同されがちだが本質的には、
不良≠突っ張りである。
蕾のまま陽の当たる方へ少しでも伸びようと、押し合いへし合いしているのが不覚社会のサクラ達。
花は蕾のまま、枯れることもある。
自ら気を満たし、感性や才能、力、機会など、与えられた“突き出る部分”を全面的に張って、開花させる。
その大切さを『男の勲章』は教えてくれる。
この教えが人々の深層意識に響くからこそ、この曲は当初のブームを過ぎてもバラエティー番組で使用されたり、続編が生まれるなどして度々不覚社会に舞い戻って来る。
曲の前後に芝居がありますがお付き合い下さい。
この動画のタイトルも、『男の勲章(復活編)』。
イースターも近いせいか、観ながらイエスとその弟子や信者達が受けた迫害と殉教の歴史が浮かんだ。
妙にマッチするので、思い浮かべながら聴いてみて頂くと当時活動されていたことのある方には感慨深いものがあるかも知れない。
「氷のように 冷たい 世間の壁が いつもさえぎる 俺達の前を」なんて、グッと来る。
「胸にえがいたこの夢」って、
千年紀のことだろうか。
迫害にせよ殉教にせよ、そうした表現で各々「突っ張ろう」としていた者達もいる。
そして今ようやっと全ての突っ張りに感謝して、それらを包括し超えた先で未知に向けて突っ張る時期に来ている。
動画の最後近くの「復活!おめでとう!おめでとう!」も、あの復活に繫がって観える。
青い星になって消えてったが、どこに行ったのか。
まぁどこであれ、ちゃんと観ている。
だから今の今、物理次元に降り立っている端末としても、それに恥じない様に最大出力で突っ張って行きたい。
完全燃焼で完全復活。
(2017/4/6)