《男が女を愛する時》
殆どの方が、一度はどこかで耳にされたことがあるのではないだろうか。
それ程の有名曲であり、名曲である。
皆様ご承知の通り、宮司は不覚恋愛に関して無頓着。そもそも無関心。
だが男から女への愛をシンプルに描いたこの曲を聴くと、その歌い出し、ワンフレーズでもう、問答無用で内側から熱い涙が呼び起こされる。
「涙が止まりません」が乱発される世の中を普段、何の感情も浮かばず静かに眺めているこの端末がである。
そんな端末だからこそ、と言う方が正しいか。
この曲にある誠が呼び起こす活性化する力は、只かき乱してちぎり取った粗い感情を、獲物からくわえて持ち去ろうとするハイエナミュージックとは比較にならない。
『男が女を愛する時』は、与えて与えて、与え抜くことしかしていない。
それをそもそも与えていると感じてすらいない。
放射するエネルギーで出来た愛の噴水のような歓びの高まりが、ただ、そこに在るだけ。
だから聴いた途端に満たされ、胸がいっぱいになり、「ああ、十分だ」と感じられる。
何もかもが素晴らしい。初めから素晴らしかった。
そのことが意識を流れる涙と共に、深く腑に落ちるのだ。
ある時ふと、「一体どんな者ならこんな曲を世に出せるのか?」と好奇心が湧いた。
作詞作曲も歌っているのもパーシー・スレッジ。
彼の最初にして最大のヒットであり、けしてヒットメーカーと言う訳でもない。
この曲を発表する前、彼はもともとしていた病院勤務の傍ら、患者を元気づけようと歌を披露したのが好評を博し、そこからアマチュアバンドで活動するようになっていた。
病院での歌が話題になり、地元の音楽プロデューサーに発見されたのだが、それがたまたま有名なスタジオ「マッスル・ショールズ」で働いていた人物で、大手レコード会社にもツテを持っていた。
オーディションをモノにしてデビューを決め、デビュー作をマッスル・ショールズで録音することになったパーシー。
トントン拍子のようだが、デビュー曲に選ばれた『男が女を愛する時』の原型になったのは実は真逆の失恋歌として書かれた『Why Did You Leave Me Baby』(ベイビー、何故俺を捨てたの)、である。
お偉いさんに命じられてタイトルも書き換え、歌詞も書き換え。
割と、総取っ替え。
音こそ残ったが、そこにパーシーの当初の思いは既にない。
並の“芸術家”なら、嫌に思うのではないだろうか?
曲の歌詞はギリギリまで完成せず、パーシーがアドリブで言葉を載せながら歌っていたと言う。
この曲がちゃんとパーシー・スレッジの歌として響いたのはそれが新しい、彼の言葉だったからであり、あれ程のヒットを生み人々の意識に響いたのは、その新しい言葉に更に人知を超えた“存在”が介入したからである。
宮司は以前『マッスル・ショールズ 黄金のメロディ』という、このスタジオについてのドキュメンタリー映画を観たことがある。
蓋を開けてみたら水を映すシーンの多いこと多いこと。
そのはず、スタジオを見守るように近くを流れるテネシー川は先住民族に「ヌナ・シー(歌う川)」と呼ばれていたのだ。
マッスル・ショールズはテネシー川の女神に愛されたスタジオである。
歌詞が思いつかな過ぎてアタマがまっ白になった素直な可愛い男の横で、ジャストな言葉を耳打ちでもしたのだろう。
こういう女神は日本では弁天に当たる。
表現者としての「俺が欲」のない男は、名声者としての「俺が欲」もなかった様で、何とこの曲の権利をパーシーは曲作りに貢献してくれたと言う理由でアマチュア時代のメンバーに与えている。
高額な印税収入もそっくりそのまま権利者に移動した訳で、これについては本人も「本当はちょっと後悔しているよ、あの曲の権利を持っていたら子供にもう少しいい暮らしをさせてあげれたと思うから」と正直に後日談で語っている。
ちょっと、後悔?
不覚社会では「返せ戻せ」の泥沼裁判が起きても不思議ではない気がするが、それを「ちょっと後悔」とは、と恐れ入った。
誠実な人柄で、いつも穏やかに微笑んでいたと伝えられる彼は、有名になってからも地に足のついた暮らしぶりで、亡くなるまで過ごしたそうである。
こんな人物だからこそ、川の女神にも愛されたし、こんな人物だからこそ「何か色々と自分のものじゃなくなったもの」を真心を込めて歌い上げることが出来たし、その姿勢が、その生きる全てが、多くの人の胸に深く響いたのではないだろうか。
ドラえもんみたいで可愛い。
歌詞に出て来る「男」を分割意識、「女」を御神体としてこの曲を味わう時、不覚の分割意識にとって目が覚めるような思いがするだろう。
ずっと大人な存在であるカミさんを、例え話としてでも無茶振りして来る女扱いしたり「ベイビー」と呼んだりするのはご愛嬌だが、ちょっぴりズレていて、でも精一杯な分割意識の真心を、御神体はいつだって歓んでくれる。
歌詞の最後で歌われる
「なぜなら、君は
僕の世界だから」
が、とても胸に響く。
なぜなら、それは全くその通りだからである。
妻とともに聴いてみよう。
(2017/2/27)