《生命の主題》
時間という形式をとって
鼓動や細胞分裂という形態をとって
様々な形で人型生命体に用意される生命エネルギーは、言わば全母から沢山の桃太郎達へ向け、それぞれに渡された“きびだんご”のようなもの。
生命エネルギーを使いながら必要な協力を得て、鬼が島へ鬼退治に行く。
以前申し上げたように退治は対峙。
そして「鬼」とは最も近寄りたくない闇の領域。
だがその闇にこそ真の宝が隠されている。
冊子でお伝え申し上げたように本来、闇は止み。
あらゆるものが静止し無に帰する虚空(全母)のことである。
そこで財宝を手にし、帰還する。
それはそのまま、全ー感覚を思い出して永遠無限の状態に帰着することを意味している。
おふくろに見送られて出発し、鬼と向き合って、その奥の宝に
「あぁ、やっぱりわたしって、おふくろそのものか〜!」
と、ひっくり返る。
その事実を手土産に胸を張って、おふくろプレゼンツの新世界に遊ぶのだ。
それは帰還であり、同時に更なる冒険でもある。
そんな神のゲームを一回忘れ去り、頃合で思い返して本道に戻るはずが、何と言うか旅の途中で太郎同士集まってきびだんごパーティーを初めてしまった。
おふくろに追加発注して増やしたきびだんごを流通させ、誰がより多くのきびだんごを保持しているかの競争を始めてしまったのだ。
鬼が島そっちのけで。
ていうか、こうなるともう鬼が島無かったことになってる位。
太郎人口が増え、きびだんごばかりが目まぐるしく流通し、
犬(行動力)も、
猿(知恵)も、
雉(直感)も、
皆、暇しちゃってるのだ。
退屈だから犬同士でいがみ合うし、
猿は何の用もない実を木からもいで来るし、
雉は運動不足で太って飛べなくなるし、
大混乱。
当宮にお越し下さる本気の皆様はとっくにご承知かと思うが、誰しも別に
国家予算に匹敵する量のきびだんごを集める為に村を出た訳ではない。
人類は今日まで、神ゲームの前座の余興である 「これ(↑)何だったか忘れるゲ~ム!!」にどハマリして来た。
だが集めに集めたって、それは
財宝ではなくきびだんご。
きびだんごとは
一体どういうものか。
そして、
そのきびだんごは
誰が
持たせてくれた
何に
役立てるものか。
今一度、自らに問うこと。
生命の主題に立ち返る為、変容に向かう全ての端末に必要な実践と言える。
略せばまさに、命題。
(2017/1/23)