中々に長くなりました。
あいすみませんが小分けにされてみたり、週末の手が空かれたひと時にまとめてになさってみたり、皆様それぞれにいい塩梅でのんびりとご覧下さい。
では記事へ。
《現を生きる》
現在、現状、現時点。
現とはまさに今のあらわれ。
この所、現にフォーカスする機会が多く、改めて「うつつ」は「宇・筒」であると感じた。
宇宙のエネルギーが真っ直ぐ降りる様に、垂直で空っぽの筒状態になっていると、完全に今を、現を生きることが出来る。
こうしたメッセージと共に、不覚状態でありながら極めて高い精度で現を生きている、ある端末の存在に気がついた。
それを、本日記事にてご紹介申し上げることにする。
彼が本領とするリアクション芸は、止めどなく変化し続ける今の連続の中で、「正にここ!」な一瞬を捉えることを求められるものだ。
観察力や共感力、集中力、行動力を余りに高い水準で求められるせいか、とても身が持たないと、お約束でバランスを取ることもある。
しかし仕事全体を観ると、お約束も盛り込まれつつ、必ずどこかにフレッシュさがあり未知の風が吹いている。
興味が湧き、この存在の歩みを調べてみて、思いもよらぬ大きな感動を受け取ることとなった。
以前から上に「2018はストロングでなく、タフ」と、靭性を求めるメッセージを受けていた。
しかし、タフネスとは何か。
粘り強さか、そして柔軟さだろうか、と意識をめぐらしていたが、出川哲朗と言う端末を観察することによってタフの本質に気づかされた。
人型生命体の様々な活動の中で、時により、大勢の力を一人で受けとめなければならない役割が回って来ることがある。
例えば衆人環視の中で十字架にかかり、槍で貫かれ滅する役割。
槍ではなく石打ちで、十字架にかかるのが5年であればどうだろう。
まぁ実際の石打ち刑は槍程ではないが結構速く滅するので、勿論5年もかからない。
投げられるのが大怪我を負わせない程度の小石として、世間から悪口雑言の礫を投げられつつ、仕事でリアクションをとりつつ、嫌われ過ぎて芸能人生命を失うこともなく、5年の歳月十字架にかかり続ける。
途方もないタフネス。
ちなみに5年とは、この端末が有名ファッション誌の「嫌いな男ランキング」で1位になり続けた2001から2005までの5年を指す。
本人がそれをストップさせたのではなく、殿堂入りして十字架から降ろされた。
嫌悪の殿堂って何だと驚くが、そうしたものも不覚社会には存在する。
嫌われることについては彼自身、「芸人として美味しい」「個人として辛い」等、思いは様々に有ったろう。
それら全てを脇に置いて、起きることを丸ごと受け入れる。
そして自らの仕事が何かを見極め、そこを全うした。
タフの神髄を見る思いである。
「汚れ役」「いじられキャラ」
これらは世間ゲームで演じる様々なキャラクターの中で、やりたくない役ツートップではないだろうか。
多様性の流行も手伝って、あちこちでハラスメントの告発や指摘が相次ぎ、からかいや特定のキャラ付けにも敏感な2018。
告発合戦も正義を掲げる殺し合いで殺伐としているが、出川が十字架にかかっていた頃は「無茶振り」の強権や、「毒舌」や「いじり」のほくそ笑みで遊ぶことが流行りだした、これまた殺伐とした時代だった。
上手に傷付けることを、知的ともてはやす時代もあったのだ。
そんな環境で、世間からの「お前は嫌われ者」呼ばわりに「そんなこと言うな!」と抵抗せず、尻尾巻いてそこから逃げ出しもせず、己の仕事を成し続ける。
1位をとり続けた5年以前から、そうした嫌われ者扱いは始まっており、実際の出川冷遇期の全体特定をすることは難しい。
難しいし、当時は本人だって「この冷遇期がいつまで続くか」や「冷遇の後に何かが有るのか」等と、思い浮かべることはなかっただろう。
取りあえず今日も明日も続く、
終わりの見えない冷遇。
ご自身の元に起きたことと想像したらどうだろう。
仕事として選んだ結果であっても、目の前が真っ暗になるのではないだろうか。
そんなもの初めから選ばない、と感じられる方も居られるかも知れない。
だが、自ら決めた道の中で発生した役割を敢えて引き受け、世間の反応も受け入れ、世界を自分好みに編集しようとせず、リアルガチに生き続けた結果、この端末の元には大きな変化が起きた。
世界に注文を付けず、荒波を受け切った後、ある時から、磨き続けたリアクション芸を皮切りに彼の好感度が上がり出したのだ。
世の限界に達し、
起きたブレイクスルー
嫌悪から好意、侮蔑から親愛への、切り替わり。
ここを当宮では出川ポイントと名付けた。
世間で起こる様々な動きの中にも見出せるか、折を見て観察して行くことにする。
ポイントを通過すると、認識は様変わり。
「脈絡のない、拙さも振り切った英語」も、「出川イングリッシュ」として新生する。
切り替わった後に、全体とは言えなくとも結構な数の人々がこの端末に向けている、微かな羨望も含んだ温かいまなざし。
その根底にあるものとは何かと、再び意識を向けてみた。
受け入れる力の逞しさ。
叩かれても失われない屈託の無さ。
自然と溢れる飾らない優しさ。
それらもさることながら、彼の人生に一貫して在り続けている、
掛け値なしの一生懸命さ
これが、見る者それぞれの「内に秘められた一生懸命さ」に気づく力を呼び起こす。
気づきを生む熱い力を求める思いを、ガチを讃えるまなざしから感じるのだ。
リアルを生きる、懸命の神。
(2018/4/12)