豪速球の連投で失礼します。
長い上にやかましいですが、重要かつ光っておりますので、根気よくご覧下さい。
では記事へ。
《点滅する世界》
先週記事で取り上げた一作目に続き、持ち前のしつこさを発揮して『Back to the Future』を『2』『3』と立て続けに鑑賞した。
観てると結構「タイムトラベルする者達」と「元から居るその者達」が遭遇する。
初めは「未来のことは知っちゃいかん!」と、マーティを叱ってたドクも、偶然のこととは言え、時計台への落雷を待ってタイムトラベルの準備をする別の自分を手伝ったりしている。
「俺があいつであいつが俺で」ではないが、もう「俺もあいつも、そいつも俺で」と、色んな時代のドクやマーティ、マーティの子孫や先祖まで交差して、三作通してみるとちょっとクラクラする。
観終えて改めて感じたのが、世界はやはり点と滅とで切り替わっていると言うこと。
そのことを教えてくれたのは、マーティの隣でマーティより人生が激変した人物、“ドク”ことエメット・ブラウン博士だった。
大体、ドクがタイムマシンを作ったことにより、マーティが何の気なしに設定された30年前に飛ばされたことから、騒動が始まっている。
だが、マーティは周囲の環境が変わったとは言え、結局1985に戻るし、彼女がジェニファーなのもそのまんま。
一方、ドクはひょんなことから100年前に飛び、出会わなければ事故で死んでたはずの女性クララの窮地を救い、彼女と恋に落ちる。
一作目で、ドクがマーティーの手紙を読んで自身の運命を変更した時に、こんな会話がされた。
マーティ「What about all that talk about screwing up future events? The space-time continuum?
(未来の出来事を捻じ曲げるとか言ってたのはなんだったのさ?時空連続体だっけ?)」
ドク「Well, I figured, what the hell? (気づいたんだ。”それがなんだ?”って)」
とんだ達観に到着したものだ。
こんな男が良く、歴史を不用意に変えてはならんとか思ってたものだとビックリするが、やっちゃいかんと思えば思う程そうなるのだろうか。
尤も宮司は、1955でドクの意識にタイムマシンのアイディアが飛来したこと自体が、全母の計らいだったのではないかと感じている。
金も名誉も地位も、何にも頓着せず、研究に人生を捧げ、子供の様な好奇心で「無理かも知れない難題」に嬉々として挑む。
そんな人材は、この不覚社会ではなかなか得られない。
だからこそ、ドクに白羽の矢が立ったのだ。
そして彼が本当にタイムマシンを作り、タイムトラベルを実行することを見越して、ひと目で恋する女性を、敢えて西部開拓時代に設置する。
凄いことだ。
タイムトラベルと言う全母のオーダーを達成した先に、ふさわしい女性が発生したとも言える。
クララがドクのことを人に尋ねる時、「可愛らしい子犬みたいな茶色の瞳」と言っていたが、宮司は一回もドクの瞳を子犬みたいだとは思わなかった。
言われてみりゃそうかも。
これもある意味凄いことだ。
意識ごとに、
見えるものは違う
と分かる。
マーティは1985に戻るが、ドクはどの時代にも属さず自由自在に行き来する観察者としての立場を選ぶ。
そしてクララを妻に迎え、ジュールとヴェルヌという二人のかわいい子供も授かる。
もう何でもあり。
パッと見、不覚で人気の運命の二人みたいたが、ドク&クララはそこに留まらず、もっと深い真理を象徴している。
ドクのファーストネームであるエメット(Emmett)は古ドイツ語に由来し、「普遍的」「全宇宙」「優しい」等の意味を持つ。
そしてクララ(Clara)はラテン語由来で「光」そのものや「光り輝く」ことを意味する。
全宇宙と、そこを舞い
点滅する光の結婚。
エメットには「優しい」の意味もある。
これは人間的な優しさを超えた、全宇宙の天意だ。
天意と光の結婚とは、まさに聖婚である。
三部作のラストで、ドクが素晴らしいセリフを残している。
“人間の未来はすべて白紙だっていう事さ!”
白紙、つまりまっさらで何にでも変わることが出来る。
だからこその「未来」なのだ。
来た瞬間に物理次元では空は即色となる。
“未来は自分で作るのだ”
正確には全母としての本質的自らと、子としての部分的自らの共同作業で、真に弥栄な後に続く今として、未来が開かれる。
その歓びの道には、常に未知の風が吹く。
神の息吹が次の素晴らしき時空間を押し出して、現す。
理想を定めず、予測もせず、只ぴったりと隙間なく今と添う時、最も美しく瞬間が輝く。
点と滅とが冴え渡り、本来の真価を発揮した新世界がそこに現われるのだ。
時を駆けた神々。
(2017/12/11)