《有無の力》
天岩戸を開いて太陽が復活するまでの運びを、観察して気がついたことがある。
先の記事でも書いたが、言霊の神アメノコヤネと祭祀の神フトダマの二神による占いの所で、神が占う神意って何なのか古事記の中には書かれていない。
又、アメノウズメが踊りを披露する下りに書かれてある「爲神懸而(神懸かり爲て)」も、女神であるアメノウズメが神がかりするってどう言うことなのかも書かれていない。
神にお告げをする神。
神に懸かって踊る神。
それらはどう言う存在なのだろうか。
もしそうした神々にも名があるのなら、これだけ逐一誰が何してと担当者名と役割を表記しているのだ。
その彼らか彼女らについても説明する記載があって不思議ない。
つまりは、神を通して意を示したり神に懸かって力を加える神は、彼や彼女の姿を取らない無形のエネルギーであると言うこと。
様々な役割を果たす有形の神と、それを支える無形の神。
この協力があるのだとすれば、それはそのまま有無の象徴であり、更に言えば物理次元と虚空の雛型にもなる。
「神話として書いてありますが要するにアメノウズメは神を降ろした巫女で、その他のキャストやスタッフも「神!」って言われちゃう位の凄い人達のことなんですよ」とする、読み解き方もあるだろう。
人なのであれば、そうした彼や彼女が神話になることによって、「神と人の源は同じである」事実が示されている。
神と人は同源であり合一を果たすことも出来るもの。
分割意識の覚醒を皮切りにして変容が起こり、形を伴って物理次元に存在する“生ける虚空”として新生するにあたり、有の神と無の神の在ることは大変重要な情報である。
だが、古事記の内容を観察すると
「とにかく大事なこと書こう!」
の気合いで降ろせただけの情報なせいか、
「我が君の正統性を知らしめて書こう!」
の良かれがフィルターとなって視界を曇らせたからか、
「我が一族の栄達目的で書こう!」
の歪んだ引水で手元が疎かになった為か、
こうした重要な情報は気がつかれずに、書く側はその辺りをさらっと通り過ぎている。
扱いはそんな感じだが、一つ素晴らしい点がある。
記されている無形の神と有形の神に格差がない。
日本の神々について、一神教じゃなく多神教なので多様性があって、豊かで大らかなんですよと言った八百万アピールをたまに見かける。
だが大勢居ると、又その大勢を不覚の眼を通して見ると、何が起きるか。
神に対する格付けチェック。
観察してみると「みんなちがってみんないい」どころか、メジャー神とマイナー神で大分扱いに違いがあるし、それらの神を擁する神社も格付けされている。
神好きの人々も、強くてかっこいいと感じる神に恋着して縁を結ぼうとしたり、お気に入りの神に自分を重ね合わせて気分的にチョイ乗りしてみたり、キャラクター性も加味した格付けありきのお楽しみを結構している。
古事記にも勿論格付けの傾向はある。
しかし、岩戸開きに関してはイベントに協力したスタッフ神やキャスト神達の間に、主役傍役端役と言った扱いの差はない。
格差のない協力関係の清々しさと、もたらされる結果が見事に描かれている。
本イベントにおける確保の対象であり、不覚社会では超メジャー神扱いのアマテラスさえ、ちゃんと敬意は払っているが「隠れているので出て来て欲しい相手」でしかない様な気がする。
格上として畏れてへりくだっているならそんな相手に、「あなたより貴い神居るんで楽しんで盛り上がっちゃってまーす」とか、やれるだろうか。
岩戸開きの準備段階で、鏡が“作られる”と言うのも、さらっと書いてあるが大変重要かつ味わい深いことである。
鏡作りに際して、金属から製造したアマツマラに男の要素、鏡に加工したイシコリドメに女の要素が反映されている。
男と女の共同作業で生まれる鏡に映る姿は新たな出生、新生を意味している。
輝ける太陽が一旦消え、復活再生する。
その動きには、有と無の切り替わる点滅、虚空から万物を生み成す運びが表われている。
古事記には、格上げを図る為の呪術的要素が人の手によって其処此処に散りばめられているが、その奥から伝わる点滅や万物生成プロセスの見事さの前では、ちょっとした飾り程度の可愛らしさである。
長くなったので素晴らしい連携の段取りをしたオモイカネの思い方については、来週記事に書かせて頂くことにする。
有無合わし、全となる。
(2022/4/28)
《4月のふろくその2・凡あみだ2022》
久々に登場の凡あみだ。
今回は天岩戸開きの仕事と各担当者から、5つのテーマが生まれました。
1.思 担当者オモイカネ
2.作 担当者アマツマラ・イシコリドメ・タマノオヤ
3.占 担当者アメノコヤネ・フトダマ
4.踊 担当者アメノウズメ
5.出 担当者アメノタジカラオ
5月に何か新しいことをやってみたい気分になられた時。
「ここだ!」
と決めた一点からスタートして、あみだを辿ってみられて下さい。
ゴールで待っていた神(々)の奉られる神社を訪れてみるのも面白いですし、その神の成した仕事について意識を向けて自身による貢献のヒントにしたり、浮かんで来たことを実行なさっても面白いです。
いずれにしても、新しさが重要となります。
芽吹いたものが伸び行く新緑の季節に、澄み渡る意識で新体験をお楽しみ下さい。