切るに切れず、猫だったらすぐに飽きて遊びにでも出かけるだろう長さの記事となりました。
誠にあいすみませんが、週末の手が空かれた折にでも、適当な所で区切る等なさって、いい塩梅にしてご覧下さい。
では記事へ。
《昇華の祝祭》
人それぞれにおいて善人であるとか、悪人であるとか、あらかじめその性質が決まっている訳ではない。
善悪に限らず、「生真面目」とか「おっちょこちょい」とか、「嘘つき」「見栄坊」「恥ずかしがり屋」「腕白」「気まぐれ」「愛嬌者」。
人が「これこれこうである」と認識する人の性質は、全色揃った絵具の中から幾つかがパレットに絞り出された状態。
生まれ育った家ごとに「良く使って来た色達」があったり、その世代特有の「流行色」があったり、各人の「好みの色」があったりと、使い易い色でパレットの中に「自分らしさ」を作っている。
重ねて申し上げるが、本来は全ての色を全ての人が持っている。
約束の一夜に様々な性質の存在が大集合するこの作品には、人に備わる“全性”が良く表れている。猫なのに。
大変に有名な作品である為、ご存知の方もおられるだろうがこの作品に登場人物はいない。
出て来るのは全て、ジェリクルと自らを呼ぶ猫達である。
ジェリクルキャッツはスフィンクスの時代から既にこの世に居て、魔女の箒にも乗り、笛吹の助手をしたこともあり、天国でも地獄でも常連だと言う。
何処までが本当か分からないが、彼ら自身も言う通り、一癖も二癖もある猫なことは間違いない。
ジェリクルキャッツは自分達が特別な存在だと信じている。
不覚の人類が、そうであるように。
彼らの言うことで特に面白く感じたのが、猫には三種類の名前が要るとする下りである。
一つ目は普段人間が呼ぶ、実用的でありふれたもの。
二つ目はそれらと異なる、独特で威厳のある名前。
これでないと、堂々と尻尾を立ててひげを広げてはいられないと猫達は言うが、聞いてみればコリコパットやボンバルリーナと、人にとってはさっぱり訳の分からない名前ばかり。
この名前には、二つと同じものがないと言う。
そして更に特別な、秘密の三つ目がある。
その名は猫が人に明かすことは決してないし、どう調べても分かりっこないらしい。
猫が静かに瞑想する時、常に三つ目の名前のことを想っている。
言うに言われぬ、神秘的で難解なその名前のことを。
と、言うことだそうだ。
その後の彼らのはしゃぎ振りを見て、人から靴を投げられる様な出来栄えの歌も聴くと、秘密の名前についてもどこまで本当か怪しいものだが、二重三重に包まれた情報が、猫と言う生き物の得体の知れなさを醸し出しているとすれば、案外とそんなものが実際にある様な気もする。
賢いのか愚かなのか、神秘なのか凡俗なのか。
どちらとも言い切れず、どちらでもあり得るのがジェリクルの猫達。
観ているうちに、彼らジェリクルは人の持つ様々な性質プログラムを、細分し具現化した存在であると気づいた。
ジェリクルの月が輝く夜、全てのジェリクルキャッツは舞踏会に集まる。
夜明け前に長老猫デュトロノミーが、今年「生まれ変われる猫」を発表するジェリクルの選択が行われる。
長老から名を呼ばれた猫は、ジェリクルの命を授かり、天に昇って不思議に満ちた世界へ行くのだ。
『CATS』はその決定までの一晩を、様々な猫達の紹介を受けながら味わう物語である。
作中には実に個性豊かな猫達が登場する。
ネズミを教育しゴキブリにまで行進を教える世話焼き猫。
フェロモンをまき散らす気まぐれなスター猫。
たっぷり太って気前のいいグルメな街の名士猫。
神出鬼没の悪戯なコソ泥コンビ猫。
自ら何度も生まれ変わった、ジェリクルのリーダーでもある長老猫。
仕事熱心だったり、魔法めいた芸当を披露したり、凄いワルだったり、皆がそれぞれの特技や個性で作品を彩る。
その中でたった一匹、誰も傷つけずそっと近付いて来るだけなのに、他のジェリクル達が触れるのを躊躇う猫が居る。
娼婦猫のグリザベラは、かつては魅力溢れる雌猫だった。
だが年を重ねるにつれ容色は衰え、今では毛皮は傷み、目は引き攣れている。
現れた彼女をあからさまに避ける者がいる。
手をのばす者もいるが、別の者に止められる。
そうして、誰も彼女に触れることが出来ないままで、夜は過ぎて行く。
老いたことが呪わしいのか。
不道徳なことが呪わしいのか。
嘆くことが呪わしいのか。
みすぼらしいことが呪わしいのか。
過去に縛られることが呪わしいのか。
女であることが呪わしいのか。
グリザベラは人型生命体の中に隠された、最も祝い難い性質の象徴である。
作中に出て来る最も祝い難い性質とは、
「期限切れの優越感の哀しさ」と
「今を苛む劣等感の惨めさ」のセット。
食べ合わせが悪い為、消化(=昇華)が実に難しい。
この祝えずにいたものの昇華が起きるところに、『CATS』の素晴らしさがある。
初めは衰えた今を嘆き、美しかったあの頃に戻りたい、蘇りたいとグリザベラは願うが、最後には思い出から解放され、只、触れて欲しいと訴える。
「輝いていたあの頃」の様な、特別美しいものとして復活するのではなく、他の猫達に触れ合える「ひとつ」になることを意志した。
その時、白猫ヴィクトリアが彼女に駆け寄って触れる。
他の猫達も次々と、手を取って触れると言う祝福を彼女に贈る。
誇っていた過去への執着より、今、隔てなく触れ合えることの素晴らしさ。
皆に受け入れられたグリザベラは既に生まれ変わったと言えるが、、長老猫は彼女を生まれ変われる猫に選び、天の入口に案内した。
残る猫は全員でその旅立ちを見送る。
誰も、自分が選ばれなかったことを嘆いたりせず、歓んでいる。
祝い難かったものの昇華は、全員の弥栄となるのだ。
人の内なる昇華が起こるには、祝えるものと祝えぬものの隔たりが消えることが必要である。
まず存在を認めること。
認めなければ触れ合えない。
そして中立に天意からの愛を注ぐこと。
すると祝えなかったものの昇華が起き、まさに天に昇って花開く。
生まれ変わって予想もしない何かになり、新たに現れる。
この素晴らしさと面白さを、『CATS』は歌とダンスによる躍動と共に、万人に分かり易く示してくれているのだ。
さて皆様は何を、昇華なさりたいだろうか。
次元超ゆる、全一の女神。
6月のふろく 《 昇華祝福カード 》
『CATS』のグリザベラは、優越・劣等感のセットでしたが、人の内側にはそれぞれ違った祝い難きものが存在します。
内なるグリザベラ、祝って来なかったものを輪の中に書き込み、光で彩って輝かせ、天意からの愛で昇華するふろくをこしらえました。
輝きはペンやシール等で自由に足してみられると、面白いかも知れません。
個の視点からだと受け入れに抵抗を感じる性質も、隣に立つ長老の観点で天意からの愛を送ると、自然に溶けて行きます。
好きになれずとも、取っ散らかっていようとも、凝り固まっていたとしても、あらゆるものは虚空より生じています。
虚空に還りつかぬものはありません。
心置きなく祝福し、昇華なさって下さい。
(2019/6/27)