《散らかる男達》
実践を含む必要なことを伝える方が先になり、どうにも後回しになりがちだが“知ってる神々”についても読み解きは進めている。
この所、特にメンズが主役となる物語を振られることが増えており、英雄や成功者、救済者の概念も色々と限界を迎えている昨今なので、
「ヒーローって何ですかね?」
と言うテーマが示されて居るのかも知れない。
先日も「海幸山幸」と来たので、
「へぇ、夏だしな」
と、この神話について調べていた。
神話や民話は広範囲にあれこれ読んで来た為ざっくりとは知っていたが、深く意識を向けてみたことはなかった。
起きた反応は、
「えぇ~、引くわぁ」。
何がって、
兄貴愛用の釣り針を失くして、
「ゴメン探し行くわ!」で、
三年帰って来ない所。
物探しに行って三年不在って、そりゃもう遅い遅くないの話じゃなく、失踪扱いじゃないだろうか。
で、帰って来て、悪い兄貴をとっちめる筋立てらしく、神話に込められた別の意味とかあるにしても呆れてしまった。
海中暮らしが体感的にあっちゅう間だったにせよ、帰ってきたら懲らしめる前にまず、
「三年音信不通は、すまんかった!」
だろう。
このお話では大抵、弟が用意した他の釣り針を「同じのじゃなきゃ、使えない!」と突っぱねた兄のことを、意地悪兄さん扱いしているが、弟の面の皮だって中々である。
兄弟の何やかやだけでなく、潮の満ち引きに関わる玉とか謎のアイテムが出て来たり、弟が海で見つけて来た嫁さんがワニだったり、色々取っ散らかり過ぎている為、一つの記事として掘り下げることは現時点では出来ない。
海幸山幸に限らず、昨年の祭にも出て来た神農伝説や、不覚時代から面白く感じて来た「力太郎」についてもちょいちょい上から来ており、本当にこの所の物語系読み解きは“男祭”みたいな感じになっている。
「力太郎」は、覚めてから読んでも相変わらず愉快だ。
ファンでした。
面白ポイントは、爺さん婆さんの垢を集めて力太郎が出来る所と、仲間達のラインナップ。
力太郎
御堂コ太郎
石コ太郎
のトリオである。
力と御堂と石を一緒に旅させる物語など見たことが無かったので、不覚の小さな端末であった頃、この話が大好きだった。
テレビ版だと陽気な力士風。
改めて三人を並べて中立に観察し、これらはそれぞれ
虚空から生じる力と、
神仏の住まいである御堂と言う器、
そして石に「イシ」の音で通じる意志、
の象徴なのだと気がつき、目を丸くした。
それであれば、個を超えた無から生じる力がメインで、分割意識の伴侶であり器でもある御神体と、内包される分割意識の自由意志が脇にあるのも頷ける。
あの頃感じていた以上に深い物語だった。
首と胴が気軽に離れるテレビ版の石コ太郎。
と言うか、あの頃あれだけ惹き付けられていたのも、そうした奥があったからかと納得が行く。
不覚的にこのお話を読むと、褒美を得るとか嫁を得るとかの出世要素に目が行きがち。
だが、化け物と戦ったり何だりとあれこれ散らかる男物語の奥に深い真理を観ることも出来るのだ。
派手な表の、奥を観る。
(2020/8/6)