《捧げるという生き方》
人型生命体の物理次元における役割は2つ。
1つは全母が全体を生みながら観ているのと同時進行で、個々の端末と言うオリジナルなアングルから、天意を以て物理次元を観察すること。
そして2つ目が、全体の発展に向けて発揮できる全力で貢献し、その活動を物理次元と全母に、愛を以て捧げること。
本日は2つ目の見本みたいな存在について。
世間ではヒーローとしてお馴染みの存在だが、本日記事では彼のそうした側面は扱わない。
全一から観ればヒーローは悪の組織と並んで、自他の別を強化する不自然かつ騒々しい存在。
彼から学べるのは正義の価値ではなく、持ち合わせた力を最大限に活かして他に貢献する、「捧げるという生き方」である。
それを、ここまで体現する者もそうない。
替えがきくとは言え、何しろその頭を捧げる。
彼が「今日の頭はいつもより上手く焼けたから、ちょっと取っておきたいなぁ」等と言い出したら、この活動はストップしてしまう。
与えられるものはその場その場で惜しみなく提供し、自己実現を求めないのがアンパンマンなのだ。
惜しみない一方で、彼は「どこまで捧げるか」に関してのバランスが取れている。
日本の民間伝承で、「生きるのは木にぶら下がるようなもの、人を助ける時には片手で助けること」と言う、教えを聞いたことがある。
両手で助けてしまえば、自分も落ちる。
だが、両手で自身だけを支えたら、落ちて行く人を助けることは出来ない。
片手で自身を支え、片手は差し伸べなさいね、と言うアドバイス。
自他が分かれていたり、助けると言う発想になっている時点で「古っ!」と感じたが、ともすればすぐに訳の分からない自己犠牲に陥りがちな不覚社会にとっては、この線引きは有用。
アンパンマンは自然にそれを行っている。
彼は空腹を満たす存在ではあるが、飢えた虎とかに向かって「ほら僕をお食べ」と丸ごと飛び込んだりしない。
それをした時点で、以降どこにもアンパンを届けることは出来なくなる。
全部放り出すことが、全力ではない。
全力は「真価の発揮」があってこそなのだ。
真価の発揮を踏まえて、提供の線引きをきちんと出来る男。それがアンパンマン。
ところで、しょくぱんまんやカレーパンマンと違い、アンパンマンは食事をしない。
食べられはするが、食べはしない。
食物連鎖を断ち切る存在になって欲しいと、作者の願いを込められた、殺生をしないヒーローなのだ。
アンパンマンが
不食パンマンだったとは。
「食パンやカレーパンが何かを食べること」だって十分驚くべきことだが、「不食パンマン」のインパクトに比べると、そんなのどうでもいい気がして来るから不思議だ。
頭のアンパンについては、事故、事件、天災etc、様々な事態の度にジャムおじさんに新しくすげ替えてもらっている。
だが食事をしないとなると、すげ替えられない首から下は、一体どうやって維持されているのだろうか。
不意に気づき、愕然とした。
アンパンマンのマン部分、
プラーナで生きてる説。
公式サイトではQ&Aでこんなことを公開している。
『Q.アンパンマンが食事をするシーンを見たことがありません。何も食べないの?
A.頭の中にあんこが入っています。アンパンマンは、そのあんこがエネルギーになっているから、食事をする必要がないんですよ。』
何と、アンから吸収している。
又、こんな問いと答えもある。
『Q.アンパンマンの身体は、何でできているのですか?
A.アンパンマンは生まれた時から服を着ていました。誰も身体を見たことがないので、何でできているかはわからないのです。何でできていると思いますか?』
光。
まあ、人型生命体も光の点滅で発生している存在であるし、アンパンであるかどうかがそうなると端から問題ではなくなるが、光である。
そもそもアンパンマンの発生が、
ジャムおじさんがカマドに入れた
アンパンの種に流れ星が落っこち、
不思議な変化が起きて「マン」が追加に。
という経緯に沿っている。
なので実際、星の光が関わっている。
生滅無限の光の身体である「マン」の部分を支え、毎回新しい活力となる「アン」。
それを「パン」で包んで必要な場所に届け、分かち合う。
アンは全母からの天意、パンとは子としての愛を象徴している。
光の粒で出来ていることを示すかの様に、彼の「アン」は粒あんだそうである。
心憎いメッセージ。
冊子をお持ちの皆様は、天神アンについての記述も読み返して頂ければ、重ねて腑に落ちることと思う。
人型生命体が真に必要とするものは「飢えの満たし」ではない。
食えてさえいれば良い、増えてさえいれば良い、そんな風に出来てはいない。
「パンマン」達は、愛を捧げる「供物の神」と言える存在だが、そのメインを張る3名のうち2名が主食でない、いわゆる「菓子パンマン」な点に、そのことが表れている。
彼らと並んで、この活動を支える者達が居る。
彼らも、自己実現の為にこの活動をしていない。
「いくつ作っても、感謝されるのはヒーローであるアンパンマン達。裏方の私のことは誰も讃えてくれない」とか嘆いたりしないし、
達成感を求めて、アンパンマンの後ろ頭に通し番号や、自身のサインを焼き入れたりしない。
彼らは人間ではなく妖精なのだそうだ。
見事なまでに自他の無い、清々しい働き方である。
何より作ること自体を、楽しんでいる。
ノリノリでなければ、「走れるしパンなので食べたりもできる車」とか、そんな発想が浮かばない様に感じる。
全力で作る。
全力で投げる。
全力で振る舞う。
その歓びが空間に満ちる時、物理次元の全てが湧き返り、新世界が輝くのである。
アンをパンで捧げてみよう。
(2017/5/25)