週明けから長くなりました。

 

あいすみませんがマラソンの様にコツコツと、集中が切れたら一旦区切るなどされて、皆様それぞれにいい塩梅でご覧下さい。

 

では記事へ。

 

《前人未到》

 

勝つとは何か。負けるとは何か。

それについて、沢山の勝敗を提示することで深い気づきをもたらす祭が、先日行われた。

 


丁度日本が今期初の金メダル獲得に沸いた日、宮司も“あるオリンピック体験記”に、感嘆の溜め息をついていた。

2018から遡ること100余年。
1912に日本人が初めて参加した大会となった、スウェーデンのストックホルムオリンピックにまつわる物語である。

 


ひょんなことから知ったこの話について、今週の当宮記事としてお届けすることとなった。


有名な実話なので既にご存知の方も多いかも知れないが、まずは、かいつまんで出来事のあらましをご紹介する。

北欧の地へ向け、日本から海を渡った選手は二名。


短距離走の三島弥彦(みしま やひこと、長距離走の金栗四三(かなくり しそう)

 

旗と金栗四三。


金栗は後に「日本のマラソン王」「箱根駅伝の父」と呼ばれることになる人物。
彼と、彼の辿った人生には本当に驚かされた。

ストックホルムオリンピックで行われたフルマラソンにおいて、金栗四三は長らく謎の存在であったと言う。


勝者としてでも敗者としてでもなく、『レースから忽然と消えた選手』として。

勝者・敗者・行方不明者。かつてオリンピックには斬新な三択があったのだ。

 

 

観ようと思えば、誰もがその時にその場を観ることが出来る現代のオリンピックでは考えられない、ミステリー。


その日のストックホルムは稀な猛暑日で、気温は日陰であっても30度を超えたらしい。


 参加者の中には金栗以外にも多くの落伍者が出たし、翌日に亡くなった選手も居る。

それ程過酷なレースだった。

慣れない硬い地面強烈な日差し、入り組んだコースに翻弄され、既に意識が朦朧となっていた金栗は、折り返し地点を過ぎた辺りで方向を誤り、付近に建つ家の庭先に迷い込んでしまう。

 


スタジアムから走り出して、到着したのが民家の庭

「国の威信をかけて勝つか負けるかのオリンピック」を基準としたらもう、大失敗である。

その場で動けなくなっている金栗を、その家と庭の主であるペトレ家の人々が気づいて助け出し、介抱した。

他にも選手が幾人も家に運び込まれており、同じ様に手当を受けた。


だが、どういう訳か金栗についての報告や記録がそこで抜け落ちてしまった

 


 共に帰国した日本の関係者や、ペトレ家の人々以外は、不思議に思いながら

 

途中で居なくなった日本人選手は、今も森の中を走っている」

 

 

そんな感じの扱いで収めたらしい。


呑気というか大らかというかそれはそれで、凄い話だ。
 
それ以上に凄いのが、帰国してからの金栗の働きである。

底を厚くした足袋を履いて走る様な素朴な環境とは言え、国から選ばれ期待を背負って海を渡った

 


もし彼が、「個としての恥に押しつぶされる様な人物」だったら、失意の帰国から、もう二度と走ることに関わりたくないと思ったのじゃないだろうか。

現に、選手団の中では「何たる意気地なしかッ。日本人の粘りと闘志はどうしたッ、大和魂をどこへ捨てたッ」などと叱責する声もあったそうで、そんじょそこらの人ならこんなことを言われたら、

「じゃあ、お前やってみろ」
「こんなに頑張ったのに」
「自分には向いていないんだ」
「日本人じゃ無理なんだ」

等、「やめたい」に傾く想念がじゃじゃ漏れても不思議はない。

だが金栗四三は、そんな小さな器の人ではなかった。

 


レース翌日の日記にそれが良く出ている。

「大敗後の朝を迎う。

 

終生の遺憾のことで心うずく。

余の一生の最も重大なる記念すべき日なりしに。

 

しかれども失敗は成功の基にして、

また他日その恥をすすぐの時あるべく、

雨降って地固まるの日を待つのみ。

 

人笑わば笑え。

 

これ日本人の体力の不足を示し、

技の未熟を示すものなり。

 

この重任を全うすることあたわざりしは、

死してなお足らざれども、

死は易く、生は難く、

 

その恥をすすぐために、

粉骨砕身してマラソンの技を磨き、

 

もって皇国の威をあげん」

こんなカッコいい負け、

見たことがない。

この意気に呼応する様に、認め、激励する者も出て来る。

 

選手団長の嘉納治五郎は、諸国との大きな差を目の当たりにした選手達に、

 

 

結果は予想通りで、勝ってもらいたいとは思っていなかった。外国の技術を学び、大きな刺激を得たことが大成功で、日本のスポーツ選手が国際的な檜舞台に第一歩を踏み出す切っ掛けを作ったことに誇りを持って欲しい」

 

と語った。

当時は日本人がオリンピックに出たこと自体が「前人未到」であったのだ。

そして4年後のベルリンオリンピックを見据えて、金栗の奮闘が始まる。

たった一つの敗北がどれ程多くの勝利を生む豊かな土壌になるのかを、身を以て示す奇跡の連続が、ここから花開いて行く。

 

 

次号、更なる前人未到へ。

 

2月のふろく

 

《前人未到カード》


個人的充足ではなく個を超えた弥栄を意志して、新しいことを始める時、人型生命体はその真価を発揮します。

この春に踏み出すものを決め、その一歩の内容を粒々が集まった丸の中や余白へ、自由にお書き下さい。

世の中的に見てそれが「おおきい・ちいさい」かは全く関係ありません。

(2018/2/26)