《内なる旅》
ひょんなことから先日、1960年代にヒットしたSF映画作品を鑑賞した。
タイトルを『ミクロの決死圏』と言う。
このジャンルの古典的名作と言われているので、ご覧になった方も居られるかも知れない。
科学の力で人や物をミクロの状態にまで縮小する研究が進んだが、ちっちゃくしておけるのは1時間が限度と言う世界。
その持ち時間を無限に引き延ばすことが出来る情報を持った男が、命を狙われて脳に損傷を負ったことを切っ掛けに、冒険が始まる。
志願したりいきなり呼び寄せられたりと様々に精鋭5名が集められ、意識を失った男の体内に入り、脳の中から血腫を取り除くプロジェクトがスタート。
一行を護衛する役としていきなり呼ばれた男は、そりゃもうビックリする。
何せ夜中に車に乗せられて地下の秘密基地に連れて来られたかと思えば、さっき送り届けた人物の体内に、ちっちゃくなって入れと薮から棒に言われるのだ。
しかし、組織の一員なので断ると言う選択肢はない。
「軍人はつらいよ、だなぁ」と、腕組みしながら観た。
彼らを乗せた潜水艇が幾つかの段階に分けて、謎のシステムで念入りにちっちゃくされる様子は、意識がゼロポイントに集中するプロセスに似ている。
彼らが置かれて縮小をかけられる場所の、真ん中に位置する部分は「ゼロ・モジュール」と呼ばれている。
ゼロに肉迫し細菌位に小ちゃくなった5人を乗せた船、プロテウス号は注射針を通って患者の体内へ出発。
この体内世界が、独特のファンタジックな美しさを持っている。
血流に乗って流れ行く船の周りを、無数の血球がクラゲの大群の様に舞い踊る。その幻想的な光景に、
人は宇宙の中心、マクロとミクロの中間にいる。
そしてそのどちらもが無限。
そう呟き、海水に似た血液はまるで生命の海だと感じ入るメンバーも居り、旅が進むにつれて創造主の存在についてまで言及される。
科学の進歩に支えられている物語でありつつ、同時に精神世界的なメッセージも多く含んでいる。
呼吸に宇宙の奇跡や創造主の意志を感じる者、単なる炭酸ガスと酸素の交換作業だと言う者。
こうした起きていることへの認識の違いが、同じ船に乗った彼らの道を、後に大きく分けることになる。
内視鏡やエコー等様々な方法で確認することが出来る体内の各器官は、意識の内部構造と対になっている。
体内での冒険は、同時に意識の奥への内なる旅も描いている。
大の大人が、赤血球やリンパ、呼吸、抗体に翻弄される姿は、奇妙だが味わい深く面白い。
動脈コースの予定がうっかり静脈に追い出されたり、呼吸の風に吹き飛ばされたり、耳に届いた振動にひっくり返ったり、抗体に襲いかかられたり、色んなことが起きる。
本作中で、山程の「予定は未定」が観られる。
意識の内側を奥へ奥へと進む進化の旅に在っても、様々な出来事に遭遇する。
エゴを凝り固めて溜めておいた分だけ、奥への旅は平坦な道ではなくなる。
安全か、快適か、間違いないか、美味しいか。
旅に向けて発生した“気になりポイント”を確認しようと試みるのは自由だが、それを続ける限り、ずっと港暮らしのままだ。
時には、アホみたいに細い注射針から「南無三!」でINする気合いを求められる時だってある。
それに乗れるか乗れないか。
乗る必要のある波かどうかを感じ取るには、平素から全体に捧げて生きることである。
波が来るたんびに、信頼出来そうな誰かに「いい波ですよ」と一筆貰おうとしていると、あっという間に波は過ぎる。
『ミクロの決死圏』の原題はFantastic Voyage。
素晴らしい旅ともとんでもない旅とも訳せる。
旅の字さえ取れた斜め上な邦題の様で、“決死圏”とは言い得て妙。
内なる旅は、エゴの停止、我の死を通過する旅だからである。
旅で進化する、ちっちゃな神々。
(2019/3/7)