怪獣ばりに巨大化して、やたら長い記事となりました。
誠にあいすみませんが、週末手の空かれた折にでも飽きない程度に区切る等なさって、皆様それぞれいい塩梅でご覧下さい。
では記事へ。
《不滅の輝き》
皆様に映画を通しての気づきをご提案したその週末、ひょんなことから宮司もある映画作品を鑑賞する機会に恵まれた。
非常に味わい深い気づきが幾つもあったので本日記事にてご報告申し上げることにする。
この存在について興味を持ったことは特になく知識もほぼないが、以前から不思議な感じはしていた。
巨大なゴーヤのお化けみたいな恐竜風の怪獣が、一体何故これ程まで人気を保っているのか。
ほんの数十年の間と言えばそうなのだが、映画界では割と長く人気が続いているし、海外にも広く知られている。
危険な恐ろしい存在らしいし、巨大で飼うことも出来ないし、食用にもならないし、触り心地も良くはなさそうだ。第一、基本的に人類のことが嫌いみたいである。
軍事目的ならともかく、人が関心を向ける基準として有名な「得になるかならないか」で言ったらゴジラは映画の中に出て来る一般人にとって0点なはずだ。
ところが映画の外の一般人達は、この存在のことが結構好きである。
不覚は恐怖に執着しているし、隠し持っている破壊への欲求を満たしてもくれるからだろうか。
スクリーンと言う対岸で起きる大火事は、楽しいものらしい。
もし現実に良く似た感じの大怪獣が出て来たら、いっぺんに全作お蔵入りになるかも知れないが、今の所そんな気配もなく、ゴジラは“危なくない恐怖”として、人気を誇っている。
力技でこんなに親しみやすく仕上げてみたり。
先方が「恐ろしい竜みたいな怪しい獣」なのだと言うことはすっかり忘れ去られている。
ズラッと並ぶ関連グッズを瞑想気分で眺めていると、人間が作ってまことしやかに広めている「KAWAII」の基準もあてにならないことが改めて知れる。
「DOKIDOKI」すると言う共通項で、案外「KOWAI」と「KAWAII」は近い所にあるのかも知れない。
ゴジラと戦ったりするらしい頭が三つある別の怪獣もそうだが、龍的存在への興味や憧れも関係していそうだ。
そんな不思議なゴジラ界の中でも、この程観た作品には特に奇妙な怪獣が出て来る。
植物生まれのゴジラと言う、肌に優しい中性洗剤みたいな触れ込みで現れたこの「ビオランテ」。
怪獣になる前は天才科学者白神博士が、亡くした愛娘の細胞を融合させた一本の薔薇の木だった。
その大切な木が災害で傷つき又もや死にかけ、今度こそ娘とお別れかとなる寸前に、たまたま声がかかっていた研究に使う為のゴジラ細胞に自己再生能力があることに注目。
ちょっとくすねて「不死身になあれ」と薔薇に混ぜたら怪獣ビオランテが誕生した。
お嬢さんと薔薇にゴジラを混ぜると、こう。
外見にはお嬢さんの要素がどこにも見当たらないが、泥棒に反撃した後は芦ノ湖に浸かって佇むだけだし、超能力者の少女がビオランテに交信すると、その場に居た旧友に「お願い、助けて!」と伝えて来る。
混ざった当初、中身は結構お嬢さんだったのだ。
途中でお嬢さんからのメッセージは途絶えてうんともすんとも言わなくなるが、人間に「助けて」と言う怪獣が居るなど想像もしなかったので「斬~新~!」と驚いた。
芦ノ湖の九頭竜に引っ掛けたみたいな縄の様に細長い蛇竜が、薔薇の頭をつけた本体の脇からちょろちょろ出て来る。
それが気になると言えば気になるが、このままであれば、ちょっと大きめの観葉植物として置いとくのも可能だったかも知れないのに、叩き起こされて山から出て来たゴジラと接触し、炎で焼かれたことでおじゃんになった。
植物なので、火に弱いらしい。あと、植物なので動けない。本当に怪獣と呼んでいいのかどうか。
燃やされ光の粒々になって天に昇って行くビオランテ。
その場面に、「だから観ることになったのか!」と納得した。
終映までまだ大分あるのに居なくなってしまったビオランテだが、人間とゴジラの戦いがヒートアップし、もはやこれまでと人が天を仰ぐ様な展開になった時に、意外な形で戻って来る。
光の粒々が暗い雲間を割って天から地に降り注いだ後、大地を裂いてゴジラを超える巨大怪獣となって現れ、立ち向かう。
天から地からと言う所が、空間の全てより生ずる様子を表している。
人間達が命運を賭けていた作戦は、ゴジラの体温を上げないと、功を奏しない。
その熱を生むのに、ゴジラと戦うビオランテが一役買う。
金色の粒々達は前回の戦いからゴジラっぽさを学んで、ゴジラをたじろがせる強さを身につけて復活した。
丁度、「大きな鏡を使ってゴジラの放つ攻撃を返すぞ!」と言う、映画の中で人間達が行った原始的な対策とリンクしている。
ゴジラが放つ憎悪や殺意は、そのままゴジラへの脅威となる。
諸行無常を感じた。
ゴジラは倒れ、人間達も一安心となったタイミングで又、ビオランテは金色に輝く粒々となり空に帰って行く。
その途中で超能力少女が、お嬢さんとしての心を取り戻したらしいビオランテから「ありがとう」のメッセージを受け取るが、断然人類側が「ありがとう」なはずである。
元々は、人間が私欲まみれの技術開発から紛争を起こして、その流れ弾に当たって亡くなった様なお嬢さん。
誰にも何にも借りはないはずだし、「ゴジラに近づかれたら原発やばいぜ!」な状況を引っくり返したのだから、誇ったり恩に着せたりしてもいいはずなのだ。
なのに、そんなことどうでもいい感じで爽やかに去って行く。
力尽きての消滅ではなく、白神博士が出来ると踏んだ通り無限に再生する存在になった様である。
十字架にかけられた様な動けない姿でゴジラに焼かれて一度は滅し、そこから復活再生、永遠無限の存在となるプロセスは、キリストの物語を彷彿とさせる。
ビオランテが去った後、白神博士を狙撃した犯人を追ってのカーチェイスがあるが、追っかける方の車についたナンバーは01-1173。
「0と1のいい波」と言う、全体一つの運びによってこの作品が生み出されていることに気づける。
キリストの復活再生や0と1に意識を巡らせていて、そう言えばあのお嬢さんは善意と理性の象徴だとも気がついた。
彼女も父の白神博士と同様に研究者だった。
情熱も必要だが、研究には理性を保っての積み重ねが欠かせない。
遺伝子操作と言う自然の流れに沿わないことをしてはいても、それは砂漠にも適応し根付く麦を誕生させて、不毛の地を緑あふれる場所に変えると言う目的の為だった。
彼女の「善かれ」を得になる様に利用していたスポンサーが居たことで、理性も善意も弥栄に至らずへにゃ曲がることになった。
善意と理性の象徴であるお嬢さん。
悪意と本能の象徴であるゴジラ。
両者の融合を取り持ったのが、変容の象徴と言われる薔薇であったのが、実に面白い。
映画の最後に、お嬢さんはこんな風に観客に語りかける。
“いつから私たちは こんな時代に生きるようになったのでしょう。
神に向かって一歩、あゆみ出した日からそれは始まったのかも知れません。
思い出して下さい、もう一度。”
現代科学に警鐘を鳴らす感じでこさえた台詞かも知れないが見事に、不覚から覚へと進化変容の道を行く者へのメッセージにピタリと合う。
本当に思い出すことが必要なのは原初の体感記憶であることは皆様ご承知の通り。
それを実行する時代が、既に来ている。
不滅の輝きとなったビオランテは、空から宙へ。
エンドロールに現れる、宇宙から地球を見守る薔薇は、光の粒となったビオランテの愛の姿だろう。
全体の為に動く時、そこには犠牲も優越も存在しない。
全体の為に動く時、何にでもなることが出来る。
全体の為に動く時、愛の広がりは物理次元のみに留まらない。
この作品が、ゴジラ界隈の投票で1位になる様な人気作らしいことも興味深い。
人は怪獣の暴力性に興奮するだけでなく、怪獣の中に奥深いものを観ることも出来るのだ。
空に愛咲かす女神。
(2020/3/12)