《パンとイカロス》
“昔ギリシャのイカロスは
ロウでかためた鳥の羽根
両手に持って飛びたった
雲より高くまだ遠く
勇気一つを友にして”
哀しげなメロディに乗せて展開するこの曲の中で、イカロスは最初調子良く飛行する。
だが高度が上がるにつれ、人の小細工が通用しなくなる領域に入る。
熱く燃える太陽を前にして、固めていた頼みのロウが溶け出し、羽根は散り散りに。
この後イカロスが落っこちる下りとなり、「命を失った」所で彼の物語は終わる。
成る程、こんなに哀しい曲調な訳だ。
「あいたたた…テへヘ」
程度で済むなら、最初からもうちょっとご陽気な感じだろうし。
「無茶言うなよ〜」
不覚時代、まだ小さな端末だった頃にこの歌を聴いて、そんな感想を持った。
と言うのも、「イカロスの鉄の勇気を受け継いで明日に向かい飛びたつ僕ら」みたいな描き方で曲が終わっているからである。
こんな雑な話はない。
確かに勇気はあったんだろうが、
太陽は争う相手ではない。
次を担う者達は「NO MORE ICARUS」を掲げて、弥栄に尽くすことだ。
それが進化の道であり、イカロスへの供養にもなる。
しかしこの曲、何だかんだで印象深い。
首を捻っていて、ある時「あれとの対比で意味を成すのか!」と、腑に落ちた。
あれと言うのは、以前も当宮記事に登場したパンの人。
この存在に関するお馴染みのフレーズに「愛と勇気だけが友達さ」が、ある。
一方、イカロスは「勇気一つを友にして」いる。
溶けたり墜ちたりのイカロスの顛末と、作者が世を去っても尚続くパンの人の活躍を並べて眺めてみると、モノコトを成そうとする時に在って、愛の不在が如何に致命的となるかが分かる。
勇気=男性性
愛=女性性
“ヒーロー”と言う、ある意味で攻撃的な職業に就いているのに、周りのみんなが彼の存在に安らぎと温かさを感じるのは、パンの人の中で男性性と女性性とが統合されているからで、そこには男女を超えた全母性が輝いている。
そんな彼が何と戦っているかに着目した時、新たな気づきが舞い降りた。
彼の戦う相手、それは
カビとばい菌
鮮度を保つことが求められる食品にとって、カビは正に宿命のライバル。
しかも、パンはイースト菌を“酵母”と言う母の様な存在にして生まれる。
ばい菌と、菌と言うくくりでは一緒。
だが、人との付き合い方ではで真逆の存在。
まるで善と悪そのものであり、イースト菌の申し子であるパンと、ばい菌とが繰り広げる攻防は、善と悪との最も洗練された姿と言える。
この位の可愛い形で残るのが、「善・悪」と言う概念の本来なのだ。
実際ばい菌の人は意外や、ちいさな人達からの支持が高いと聞いている。
幅を利かせようとしては追っ払われるが、芯から嫌がられたりはしない“悪”。
彼らの戦いには、混乱から平和の回復に至るまで、まるで能や相撲の様な宇宙的秩序があり、「アンパ〜ンチ!」「ハ〜ヒフ〜へホ〜!」で、一種の神事となっている。
他のヒーローものなら、悪は滅びて万々歳となるが、もしもパンの人がばい菌の人を抹殺したら、ちいさな人達は泣くだろう。
パンの人自身、「正義とは誰かをやっつけることではない」として、悪を倒すことより、皆の役に立つことをヒーロー活動の第一義としている。
そこは見事なまでに、ブレない。
“なんのために生まれて なにをして 生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!”
“なにが君のしあわせ なにをして よろこぶ
わからないまま おわる そんなのはいやだ!”
『アンパンマンのマーチ』として有名な曲の一節。
歌詞の意味について考えられる程度に育った端末となってから、
「重!」
と驚き、引いたことを覚えている。
哲学的なことはまあいいとして、表現が重過ぎた。
だが宇宙の大人となり、しみじみ聴き返してみると表現云々は置いといて、込められたメッセージの重要性は分かる。
「幸せ」や「喜び」として描かれている、「きみ(=気・実)」が真に求めるものは何か。
習わなくとも奥底で知っている、覚えていることだ。
だから分からないままで終わるなんておかしい。
それなら一体何をしに物理次元に、やって来たと言うのか。
つまり奥底の真実を思い出すことが、「みんなの夢」=人類共通のテーマなのだ。
この“夢”は、不覚社会を覆う眠りの様に見えて、実はその奥を指している。
そこには忘れようとしても忘れることの出来ない渇望がある。
長い間、アンパンマンが守ろうとしているのは、ちいさな人達の個別的エゴの夢なのだと勘違いしていた。
だから「不覚の夢なんて守らんでもいいのに、ヒーローって何かと業が深いよね」と呆れ半分で眺めていた。
しかし、他の連中がどうだかは知らないが、この素朴な丸い英雄は、そんな些末な願望を守っていたのではなかった。
彼はずっと、「奥底の真実を思い出さずして何の人生か」と言う深遠な問いかけを、人類の渇望を、その鮮度を守っていたのだ。
愛と勇気を友に、
そして共にして。
戦略的に好感度を上げて来たキャラクター達が後から幾つも現われては消えて行く中で、パンの人はちいさな人達の支持を受けて更に輝きを増し、活躍し続けている。
それは存在の中核に、天意からの愛があるからだ。
「守る」とか、ちょっぴり善に傾くのはヒーローとしてのご愛嬌。
先のことを言っても仕方がないが、
「昔々、善と悪と言うものがありまして…」
と、解説が必要な時代が来た時には、パンとばい菌を題材に、語らせて頂こうと思っている。
勇気だけでは、勇み足。
(2018/7/9)