《ニアピン騒動》
現代より「個」が分化されていない時代には、家や村等、様々なくくりで共同体となった人々にとっての精神的支柱が宗教だった。
一体化して出来た大きな勢力は頼りになる「目立つ印」を必要とする。
求めに応じてそんな生ける目印が発生する。
今で言うポップ・アイコン的坊さんも存在したのである。
本日記事で取り扱うのは、その中に於いても代表的な端末と言える。
林家木久翁の若い頃、ではない。
みんなの知ってる
「あの小坊主さん」
のリアルを追求した状態が上の絵画である。
ご存知の方も居られるかも知れないが、この人物、天皇のご落胤だったと伝わっている。
帝×南朝のさる姫君
と言う、中々のサラブレッド設定。
生い立ちの話盛ってたと言う暴露本も見かけないし、現在もこの人物の墓所を宮内庁がガッチリガードしている辺り、信憑性が伺い知れる。
そんな、結構なお坊ちゃんである彼。
幼少期から聡明で鳴らしたそうだが、恩師の死にショックを受けて自殺未遂をしたりとナイーブな一面を発揮した時期もある。
ピカソばりに行くなら、『一休青の時代』と言える。
それが修行を重ねた末に烏の鳴き声でいきなり悟る。
暗闇の中に烏が鳴くのを聴いて
「見えなくても烏鳴いてるわ〜、
あ!見えなくてもあるわ、悟り!
うん、あるわ!うわ〜!」
となったそうである。
そんなこんなを当時の師に報告して
「それはマジ悟り、免許皆伝よ」と告げられたが、
「マジ悟りなので、免許とか別にいいっス」と辞退。
「自由だな〜」と師に笑われて俗世に送り出され、以降は風狂の生活を送ったとされる。
青の時代が終わり『一休バラ色の時代』。
市井の人々に好まれ、ヤンヤもてはやされたのがこの時期である。
風狂とは、パンクとヒッピーを足して釈迦の手刀で割った様な感じのライフスタイル。
聖と俗とが混在し、その中に覚を見据える暮らし。
そうした日々を数十年送り、マラリアと言う病を得て、一休は没する。
若い愛人に見送られつつの今際の際に、彼が発した言葉と伝えられるのが
死にとうない
人類の歴史を見つめる中で、耳なし芳一や空海等の僅かな例外を除けば、坊さん情報へのリアクションは大概「退屈だな~」程度だったが、この「死にとうない」には大爆笑だった。素晴らしい。
帝のご落胤と言う高貴な血筋
↓
6歳で仏門に入り才気煥発で知られる
↓
10代で自殺未遂
↓
20代で一休の名を授かり、後、カラス切っ掛けで悟り
↓
元気よく所属の寺を飛び出す
↓
みんなの人気者なアイドル破戒僧
↓
で、ありつつ政治的影響力も持つ
↓
風狂の日々の後、病に伏す
↓
愛人に見送られながら
↓
死にとうない
本日記事で、皆様にご覧頂きたかったのがこのプロセスである。
上の矢印で繫がったとこだけプリントアウトして、手帳に挟む価値がある程、示唆に富んだ内容。
どれ程、血筋や才能に恵まれ、覚醒の一瞥も体験し、特権階級の重要人物となって、男にも女にもモテて民衆に好かれ、世の中の動きが見渡せても。
全一に溶けきらなければ、着地点は
死にとうない
であるということ。
仏の領域に近づくことに数多くの端末が夢中になった時代もあったが、どれだけ近づいてもニアピンはニアピンであり、虚空の穴に入っては居ない。
本当に穴に入ると、「一休である」とか「ない」とか、どうでも良くなる。
「あの方は、ピンそば3センチまで行ったぞ!ありがたや!」とか言っても、どんだけ近かろうがニアピンでは騒動の域を出ないのだ。
つくづくと、感謝である。
ニアピン狙う他なかった時期、言ってみりゃ“騒動の時代”に、体験をし尽くしてくれた端末達が居たからこそ、それを踏まえてこの“統合と変容の時代”が到来している。
そのことをお認めになるグッドセンスな皆様は、一休を始めとする旧ポジションを全うした端末に心底からの感謝を捧げ、前人未到の領域に踏み出して行かれること。
ホール・イン・ワンネス。
全一なる万物、その奥に虚空の穴がある。
虚空のホールに意識をインして、不覚のラウンド(輪廻)を終わらせる。
それが過去と呼ばれる「前の今」を本気で生きた端末達への、最も確かな供養となるのだ。
頓智の利いた飛ばし屋の神。
(2017/7/6)