《スリル冥利》
季節柄だろうか、ふとした折にゾンビについてのニュースを目にする。
「なんで最近こうも流行ってるのか」とか、「そもそもゾンビって何なのか」とか。
どうもこうもない。
真の生が新世界とともに立ち上がり、発揮され出している中で
「あれ、生きてるつもりだったけど、只の“動く肉”状態だったのか我々は?」
と気が付く者が出始めて、そのザワつきがこうした形になって現れていると言う、すこぶる単純な事実である。
自撮りした画像を見て「キャッ、怖い!」となってる訳だが、臆せずきっちり覗き込み、
「わ~!よく見たら、自分らでした!」
と、そこを認めて昇華するのでなく、怖がって避けたり、逆に気に入って執着したりしている。
自分の中の屍らしさを追求して何になるのかと不思議だが、ゾンビにきゃっきゃ言う人々も居るのだ。
観察して気がついたが、不覚者は怖さを感じた時に結構はしゃぐ。
なので、近づくと見せかけて、はしゃぐことで逆に自分との間に線引きをしてるのかも知れない。
死者に肉薄することで自身の生を強調する。
世に満ちる好意は結構、姑息である。
後、「死んでも生きてることがある」や、「死んでから生きるなんてろくでもない事だ」と、様々な言い分を含み、ゾンビ周りは仮そめの生と死、偽生と偽死が錯綜し腐乱している。
宮司は、ゾンビと言う「情報」は何度もくちゃくちゃ噛み続けるものではなく、既にこれ一本で片が付いてる用件だと感じている。
字幕なしで14分程あります。お暇な時にご覧下さい。
ゾンビと言う概念を誕生させた小説や映画等の黎明期の情報を、まとめた決定版が、これ。
短編映画仕立になっており、それまで楽曲の披露に留まっていたMVに物語性、舞台性を持たせた画期的な作品である。
「スリラーなのにゴキゲン、…馬鹿なのかな?」
と、知った当時は適当にアメリカあるあるで片付けていたスリラーのはっちゃけ加減だったが、馬鹿はこちらの方だった。
スリルとは、恐怖だけを意味しない。
語源はラテン語にあり、「身震いする」と言う意味から来ている。
勿論、恐怖でも震えるが、快感を多分に含んだ震えが、スリルの震えなのだ。
しょっちゅう全米まとめて泣いたり、号泣必至とか、○回泣けますとか、「感動=涙が止まらない=素敵」の公式が幅をきかせ、涙が贈答品みたいにやり取りされる不覚社会だが、不覚の涙と感動は必ずしもイコールで結べない。
真の感動は内なる神性が動く、即ち神動である。
そして神動と読めば振動となり、震動ともなる。
スリルも元々は、この内なる神性を呼び起こす震えを指していた。
それがいつしか快感の面を大きく扱い過ぎ、そこから危険性への恐怖にまでずれ込んだ。
ゾンビ達とのダンスは不覚の殻を被った状態が揺れて、割れそで割れない状態を表している。
観る者の目を捉えて離さないのは、震えでついに殻が割れて、真の自己が中から出てくるかもと言うドキドキ感なのだ。
ちょいと抜粋して、ノリで訳してみる。
There's demons closing in on every side
悪魔が四方から迫って来る。
They will possess you Unless you change the number on your dial
あいつらは君を捕まえる。チャンネルを変えない限りはね。
Now is the time. For you and I to cuddle close together
今こそ君と僕は寄り添って抱き合うんだ。
All through the night I'll save you from the terrors on the screen
一晩中、僕は君をスクリーンに映る恐怖から守ろう。
That it's a thriller, thriller night
これはスリラー・ナイト、スリル満点の夜。
Because I can thrill you more than any ghoul would ever dare to try
だって僕はどんなお化けよりも君をゾクゾクさせてあげられる。
So let me hold you tight and share a Killer, diller, chiller, thriller here tonight
だからぎゅっと手を握って、そして最高に素敵な、震えるような夜を過ごそうよ。
放っときゃ、恐怖を逆手にとってイチャつく恋の歌だが、変容のるかそるかの闇の中、覚悟を決めた分割意識が伴侶である御神体に向けた歌であると分かると、その深さが見えてくる。
曲のラストはこんな歌詞で締めくくられている。
Your body starts to shiver
君の体が震え始める。
For no mere mortal can resist The evil of the thriller
死すべきさだめにある者は 震え上がらせる邪悪に抵抗なんてできない。
「さだめにある」とは単に「認識によって定めている」状態で、そうであるなら当然に抵抗はできない。
その認識で出来た殻を震えで打ち破ろうと試みたのが、スリラーなのである。
マイケル・ジャクソンはスリラーを超えるものを生み出そうと挑み続け、結果、本人的に見てそれは叶わなかったそうだ。
それはそうかも知れない。
並み居る彼のヒット作の中に在っても破格の輝きと、人類意識にとって「どうにも引っかかる感じ」をこの曲は持っている。
全母の後押しで生まれた作品には、そうした力が宿るのだ。
とは言え、2017の皆様には超重要な追加情報を申し上げる。
こんなに派手に震えなくていい。
正直、震動もここまで行くとちょっと粗過ぎる。
結果、殻が壊れる前に、中の意識が目を回している。
本来の神動は中立な意識の下で自然に起こってくるもの。
その微細で精妙な波に、それこそ「チャネルを切り替える」時期が来ているのだ。
切り替えが成される時、スリルも、スリラーな時代も成仏する。
人類進化に活かされてこそ、スリル冥利に尽きるというものである。
震え過ぎ注意の神。
(2017/10/30)