《シンデレラ》

 

 お姫様物語と言えば、これ!と言うくらい有名なシンデレラ、しかしそもそも彼女は「お姫様」ではない。

 

 庶民の不遇な娘が

 大変身して

 王子の嫁になる話。

 

 なので、王子の嫁だからお姫様という、三段論法型の出世姫だ。

 

 だからこそ、そのロマンティックなサクセスに人々が憧れるのかも知れないが、中立に見ていてロマンティック以外の要素から重要な情報が明らかとなったので、ご報告申し上げる。

 

 シンデレラにはまず、魔法使いでもある“妖精の名付け親”が居た。

 シンデレラは自分の置かれた境遇でベストを尽くし続けて来た。

   勤務先どころか義理の家族に虐げられて暖炉の横で眠るような生活であるのに、その半端ない状況からトンズラせず、かといって全てを諦めて自暴自棄になるでもなく、向き合った。

 

 シンデレラは自らが何がしたいのか明確にし、それを名付け親におねだりではなく告白として、自分の口から言った。相手に当てさせようという意識の「糸掛け」をしなかった。

 

 したいと言ったことに向けてカボチャを馬車にしたり何だりと言う、名付け親のいささか突飛なやり方にも異を唱えず、出されたものを採用した。

 鼠の御者じゃ嫌だとか、他の色のドレスがいいとか靴がガラスって硬過ぎない?とかあれこれ難くせ付けたりしなかった。

 

 そして、したかったことを実行し、タイムアップぎりぎりではあるが、名付け親の言った通りに帰還した。

 

 最初っから王子狙いだったら千載一遇のチャンスとして、名付け親のアドバイスなどぶっちぎって「ナリは見すぼらしくなりますが気も合いますし、いかがでしょうか私」と、居残って王子に取りすがっていたんではないだろうか。だが、シンデレラはそうしなかった。

 

きっちり踊ってきっちり帰る。

 

 この潔さがシンデレラに、彼女の想像を超えるその後の恩寵をもたらした。

 

 うっかりの重要性については冊子でお伝え申し上げた通りだが、夢の土俵際で靴片っぽなくすというのは、人類史上最も有名なナイスうっかりと思う。

 

 コネがある。
 実行力がある。
 機を逸しない。

 

 この三要素がシンデレラにはあり、世のお姫さんがたより、どっちかっていうと

 

 こっちよりの存在。

 

 これだけだと「人生って甘くないよね」に落ち着くが、この物語にも、そんな人間あるあるを超えた虚空の手が介入している。

 

 いずれ機を見てお伝えするが、秀吉も天のコネがあった人物である。彼らのコネは人間社会のコネではない。

 

 妖精の名付け親とは、超自然的な領域から人型生命体に名付け(=存在の定義付け)を可能にする存在、つまり虚空のことだ。

 

 虚空のことなんて忘れたきりさっぱり思い出せない中世のチャネリングで、ぎりぎり「妖精…?」みたいなイメージにこぎ着けたのだと思う。

 話の進行上、魔法使い方面に解釈がぶれているあたりにも、妖精イメージに絞りきれないふわふわした感じがよく表れている。

 

 そして、冊子においてご紹介したバカボンのパパに同じく、シンデレラも名を持たない


 シンデレラとは「灰だらけの娘」というような意味で、暖炉の横で寝起きしていた彼女を揶揄して継母と姉達が付けたあだ名で彼女の本名ではない。

 

 そして妖精が彼女にどんな名をつけていたかは、物語の中に一切出てこない。

 

 実は誰でもない存在なのがシンデレラ。

 

 彼女が虚空の後押しを受けて、びっくりするような状況画面を次々に出し、人も羨むような物語の主役となった理由がここにあるのだ。

 

 

 誰でもないことこそ最強であり、誰でもない者に敵は居ない。居ないと言うか、居なくなる。“結果として敵ではなかった”と、なる。

 

 辛く当たった継母や姉達からの圧がなければ、“心底したいこと”として本気のオーダーは出なかったのではないだろうか。

 シンデレラは彼らを全く恨んでいなかったし。

 

 誰でもない存在が、虚空の手に自身を委ね、誰をも恨むことなく、与えられた仕事を全うした時に、どれ程素晴らしい画面が出るかということ。

 

 そうしてやることやってれば、どれ程遠くに思える場所に居ても繁栄の方が探し出して迎えに来ること。

 

 

 この重要なメッセージを、シンデレラを通して虚空が告げている。

(2016/6/9)