《オオカミと7匹の子ヤギ》
引用 http://www.lab-curio.com/book/re/DerWolf.htm
子ヤギがいっぱいで絵的には可愛いが、グロい要素もあるこの物語。
7と言う数字が意識に引っかかり、深い意味を読み解くにつれて、その秀逸さがグイグイ明らかになったので、本日記事としてご報告申し上げる。
可愛い7匹の子ヤギが優しいお母さんヤギと暮らしている所から話は始まる。
ある日、お母さんは町まで買い物に行くことになり、悪いオオカミが来るから戸を開けては駄目よと7匹に言いおいて出かける。
悪いオオカミが来る
オオカミはガラガラ声
オオカミの手は真っ黒
わざわざそう言い残して出かける。
お母さんの言いつけを守って子ヤギ達は、まんまガラガラ声で来たオオカミと、声は綺麗にしても真っ黒い手を見せたオオカミは、嘘つき!と追い払う。
だが、
良い声にして
手を白くしたオオカミ
には、喜んで戸を開けてしまう。
ワ~!
オオカミはあちこちに隠れた子ヤギのうち6匹を見つけて丸呑みにするが、7匹目の末っ子だけは、時計の中に隠れて無事だった。
そこへお母さん帰宅。
末っ子から話を聞いて、お母さんは満腹で寝ているオオカミの腹をハサミで割いて、呑まれた6匹を取り出すと、代わりに石を詰める。
石の入った腹が重いオオカミは、水を飲みに行った井戸に落ちてさようなら。
そんな、表層意識で読むと「めでたしめでたし」とは中々言い難い、塩味の利いた締めくくりとなっている。
が、常識をとっぱらい深く読み解いて初めてわかる真実がある。
7匹の子ヤギ達は人型生命体の持つ7つの体を表している。
母ヤギは勿論全母(虚空)である。
虚空から離れた人型生命体の元へやって来るオオカミ、これは一体何か。
エゴプログラムとそれを操るシステムの象徴。
まことしやかに至福ヅラした表層の幸福が、チョークで声を滑らかにし、小麦粉で手を白くして、「聖なるもの・素敵なもの・あなた方の求めるもの」として人型生命体の元を訪れる。
それを「ウェルカム!」と迎えれば、飛びかかられてエネルギーを丸呑みにされる。
光の体のうち高次のものは不覚のうちは細っていてオオカミの相手にならない。思考体や感情体は、オオカミと一体化する始末。
このギリギリの場面で逃げ出せたのが肉体である。
7つの体のうち、最後に生まれた末っ子なのだ。
末っ子ヤギは時計の中に隠れて、1匹だけ見つからない。どうして見つからなかったのか。
時計の中とは
時間軸の裏側
裏からは時刻は見れない。つまり、その縛りから抜けることが出来る領域を象徴している。
肉体と意識は、時間軸の裏側に入り込んだ。そこは意識と肉体だけの世界で、思考も感情もない。
その領域で初めて、意識は肉体の声を聴くことが出来る。
沈黙を守り、その小さな声を聴くことで、意識は開眼する。
同時にエゴは眠りに落ちる。
その時こそ、お母さんの帰還となるのだ。
お母さんと再び一緒になった末っ子は起きたことを報告する。
目が覚めた末っ子の活躍で、オオカミの腹から呑まれた子も帰還する。
腹の中で6匹が無事だったのは、「7つが元々一心同体の存在」であるから。
再び7匹揃い、お母さんは戻った子の代わりに重たい石を詰める。
これは開眼して高次の存在となった子ヤギ達に比べて、エゴシステムが相対的に重たい存在になったことを表している。
お母さんは何の為にわざわざ言いつけを残して出かけたのか。
子の成長の為。
言いつけを守り、
不測の事態にも対峙し、
ちゃんと成長すること。
役目を終えたオオカミは全一の水に還って行く。これもまたお疲れ様。
オオカミって大神だし、オカミさんとも言える。要は、エゴすらも勿論、虚空の一部ということ。そして
エゴも我々分神も
お母さんの手の中。
虚空の描く分神の成長物語には、不要品など一つもないことが、この物語から分かるのだ。
安心して、動いてみよう。
(2016/9/1)