《たんけんぼくのまち》
“しらないことが
おいでおいでしてる
出かけよう
くちぶえふいてさ”
人型生命体は本来、新体験を歓ぶ存在である。
どんなに予定調和にはまり込んでいても、どこかで未知を求めている。
普段の生活圏内にも、行ったことのない場所はあり、見知った場所でも訪れたことのない時間帯はあるもの。
少し異なる角度から眺めてみると面白い発見は可能である。
宮司はこのテレビ番組を、ちゃんと観たことがなかった。
タイトルは知っている程度だったところに、上が放って寄こした。
「日常も探検出来る」ことを皆様にお伝えする為の様である。
映像記録媒体を探し、番組のコンセプトや構成について調べてみて、「成る程なぁ~」と唸った。
御存じではない方に向け簡単にご説明申し上げる。
80年代から90年代初めにかけてNHKで制作・放映された「たんけんぼくのまち」は、一人の男の成長物語と、小学三年生に向けた社会の仕組みの分かり易い説明が、奇跡の融合を遂げた、大変に弥栄な番組である。
故郷を離れて日本一の店長になるべく食料品店で修行中のチョーさんが、愛車チョーさん号(自転車)で配達をメインに勤務地域を疾走。
途中でする様々な体験、そこから起きた気づきや発見、理解。
それらをチョーさんは番組終わりに地図として描くことで昇華する。
「鉄は熱いうちに打て」と言うが、「地図はその日に描け」でも良いかも知れない。
こんなのを描く。
釣った魚をさばく様に、チョーさんは体験の感動が新鮮なうちに、地図にする。
それは記録であることを超えて、虚空に捧げる純粋な歓びの現れとなっている。
チョーさんの修業では何もかも順調に行く訳ではなく、不覚社会では「失敗」「アクシデント」とされる出来事も発生する。
だが、そこからしか学べないこともある。
“びっくりしようよ
あららのら!”
びっくりは、学びの機会を連れて来る。
“しらべてなっとく
うん そうか!”
体験で起きたビックリの「!」から、浮かんだ「?」を調べて、腑に落としたら爽やかな歓びの「!」が訪れる。
顔芸がすごい。
そして、地図の様に、昇華してまとめることが出来る。
“おもしろ地図を
ひろげよう”
この「ひろげ」は、地図を「広げ」るのと、探検し、発見し、地図に描かれる範囲をどんどん「拡げ」て行こうと言う呼びかけを兼ねている。
未知を味わう歓びを拡大せよ、と言う嬉しいお知らせである。
成る程、これほど深いメッセージがあるから、番組が終わっても根強い人気があり、「帰って来たチョーさん」みたいな記念番組も後年出来るのだと納得した。
重要な情報には、時を経て帰って来ると言う性質がある。
ところで
“たんけん はっけん
ぼくの町”の、
ぼくの町、とは一体どこからどこまでなのだろうか?
この番組をちゃんと観ていなかった宮司は、おおかた特定の町で頑張るプロセスをずっと描いていて、そこが「ぼくの町」なのだと勘違いしていた。
だが調べてみると、
全160回の間に結構、異動がある。
修行の地を求めて続けてなのか、長野からスタートして、茨城、福島、静岡、もっぺん長野、そして神奈川。
ちょろっと東海にはみ出しつつ、大体関東を渡り歩くチョーさん。
湖や海等の水辺のある町を選んでいると言う。
愛する地元とか、第二の故郷とかでなく、生活するその場その場が「ぼくの町」。
そうだ、物理次元は本来全てがホームだぞと感じ入った。
念願の店長になれたところで番組は終了したと言うが、東にとどまらず、西・南・北どこへ行ってもチョーさんは体験と理解と昇華、その全てを楽しんだろう。
チョーさんでなくとも、人は皆それぞれに、その場その場の「ぼくの町」を探検し、発見した魅力を描いたり書き記して祝うことが出来る。
体験からの納得と、表現による昇華と言う、インプットとアウトプットが1日で成される時、
味わう集中力が増すことで、
生活が一層充実する。
有難いことである。
生活を探検する神。
(2019/7/29)
7月のふろく
《おもしろ地図ふせん》
チョーさん程、コンスタントにではなくとも、空いた時間を利用して「えいや!」と探検をしてみるのは面白いものですし、生活に新風を吹き込んでくれる切っ掛けにもなります。
その時には是非、地図による昇華をセットにして頂くことをお勧めします。
どんな場所を探検してみるか、どの位の範囲でか。どんな時間帯か。
それは人によって様々です。
地図は大きさも細かさも皆さまそれぞれ自由にお描き頂くとして、そこに添える気づきや理解の目印、まとめを書くスペースをご用意しました。
ハサミで切って、貼ってはがせるタイプの糊を塗って頂くと、ふせんとしてお使い頂けます。
よろしければ、皆様のおもしろ地図をひろげられる時に、ご活用下さい。