《おおきなかぶ》
『おおきなかぶ』はロシアに古くから伝わる民話の一つ。
作家トルストイがそうした昔話を集めて作った『ロシア民話集』に再録した文章を元に作られた絵本が、日本では親しまれている。
他の作家が再録した『おおきなかぶ』も読んだが、内容は同じで言い回しが軽く違っているだけだった。
どちらの本も、おばあさんの方がポチャ気味。ロシアあるあるなのだろうか。
大変シンプルで、段階を踏んで次第に長くなりながら繰り返していくそのスタイルから、お話というより歌に近い雰囲気を持っている。
“おじいさんが かぶを うえました。
「あまい あまい かぶになれ。
おおきな おおきな かぶになれ」 ”
望んだ通りに「あまい げんきのよい とてつもなく おおきいかぶ」が出来たのだが、これがおじいさん一人の力では地面から引き抜けない。
おじいさんはおばあさんを呼んで来て、二人でカブを掴んで引っ張る。
“おばあさんが おじいさんを ひっぱって、
おじいさんが かぶを ひっぱって —
うんとこしょ どっこいしょ ”
それでもカブは抜けない。
そこで今度はおばあさんが孫娘を呼んで来た。
“まごが おばあさんを ひっぱって。
おばあさんが おじいさんを ひっぱって、
おじいさんが かぶを ひっぱって —
うんとこしょ どっこいしょ ”
まだまだ抜けない。
一番後ろの者が次のメンバーを呼んで来るシステムなのか、孫が犬を呼んで来る。
しんがりで犬が孫を引っ張るが、やはり抜けない。
で、今度は犬が猫を呼んで来る。
猫が後ろから犬の尻尾を引っ張って、全員に加わるが、それでも抜けない。
猫は鼠を呼んで来た。
“ねずみが ねこを ひっぱって、
ねこが いぬを ひっぱって、
まごが おばあさんを ひっぱって、
おばあさんが おじいさんを ひっぱって、
おじいさんが かぶを ひっぱって —
うんとこしょ どっこいしょ
やっと、かぶは ぬけました。 ”
これだけ。
福音館書店版ではここで終わっているし、こぐま社版でもこれに「めでたし めでたし」がついているのみ。
カブが美味かったとか甘かったとかみんなで分けたとか頑張ったご褒美貰ったとか、特に書いていないのである。
ただ、カブが抜けたことに全員が超喜んでいる。
「えぇ〜、ロシアじゃカブが抜けることにそんなでっかい意味が?」と、この物語を見つめていて、ある興味深い点に気がついた。
おじいさん
おばあさん
まごむすめ
いぬ
ねこ
ねずみ
このラインナップ、進めば進むほど「どんどん非力に」なっていくのである。
孫娘が吉田沙保里とかであれば話は違って来るだろうが、絵本で見る限り、おばあさんより小さく細っこい女の子。
両親共働きでカブを収穫する時間帯になど家に居やしないからなのか、彼女が呼んで来たのは犬。
更に犬は猫を呼ぶ。
犬と猫は対照的に見えるせいか、絵本の世界ではおよそ仲良しのイメージがない。
むしろいがみ合う敵であることが多い。
猫と鼠には捕食&被食のイメージがあり、恐怖を含んだ敵対からこれまた仲良しのイメージはない。
自分より非力で、仲間じゃない存在。
これに助力を頼む姿勢。
ここに、虚空から贈られる果実を、征服や制圧でもぎ取るのではなく、素直に受け取る時のポイントがあると気づいた。
人間意識は欲しいものを狙って、それがなかなか手に入らない時に、より良い援軍を得ようとする。
もっと強い後ろ盾。
もっと多くの武器。
もっと激しい頑張り。
だが事態を動かすのが「もっと大きな力」だけだと信じていると、逆にどんどん辛いことになる。
ちっちゃいけど、全力。
時には「鼠が尻尾で猫を引っ張る」程の微かな力が、決め手になる。
この物語は、それを教えてくれる。
そして、もう一つ教えてくれる。
協力者の「小ささ」は、周波数の「きめ細かさ」を象徴している。
よりきめ細かく、静かな領域に入っていくこと。
蕪
当宮左側から借りて来た情報になるが、カブは「草かんむり」に「無」と書く。
おじいさん率いるチームカブ抜きが総力をあげて引っ張っているのは、地上にすくすく伸びた葉っぱの部分で、「草かんむり」にあたる。
彼らが土中から引き抜こうとしている「おおきくて あまい実」とは無の果実なのだ。
無の領域から、有の物理次元に存在を出現させるのに必要な姿勢を、この物語は実に簡潔に美しく伝えてくれているのである。
そりゃ喜ぶわ。
(2017/4/27)