《あなたが寝てる間に》
異なる二つをあわよくば、「両手に花」と行きたがるのはエゴの常。
だが、覚と不覚のように、両立出来ないものもある。
『あなたが寝てる間に…』は、1995年に公開されたアメリカ映画のタイトルなのだが、先日これが上から降って来た。
観たことはなく、内容も全く知らなかった。調べてみて、「へえ、本当にあるんだ」と思った位。
この、90年代のいかにもハッピー一辺倒なロマンチックコメディーが、一体何を教えてくれると言うのか。
首を傾げたが、いざ観てみると実に深いメッセージをこの作品から受け取ることとなった。
駅の券売所で働くルーシーは、毎朝そこを通る乗客の一人に片思い中。
ある日、その彼がトラブルに巻き込まれて線路に落ち、意識を失った所を間一髪で彼女が助ける。
ところが病院に搬送された彼の意識が戻らない。
様々な偶然が重なって婚約者だと勘違いされたまま、彼女は彼の家族と親しくなって行く。
彼の弟も遅れて家族の元に駆けつけ、なんと彼女と弟の距離が少しずつ縮まって行く。
恋した人が寝てる間にその弟と惹かれ合うんで『あなたが寝てる間に…』なのだが、彼女と弟とのピッタリ加減が明らかになるのと同時進行で、兄である「素敵な彼」の化けの皮がベリベリ剥がれて行くのが、実に面白い。
意識を失った兄は「エゴが作り上げた理想の幸福」、兄が寝て始めて現われた弟は「真に自らを満たす至福」の象徴と気づいた。
真に満たすもの。それは、
洒落たスーツを着こなし、いつも颯爽としてこっちには気づきもしない素通りハンサムではなく、
並んで歩いている横でうっかり犬の糞を踏んだり、家まで送って来てくれたは良いものの、氷が張った地面で抱き合ったまま見事に同時にコケてひっくり返り、隣で呻きながらジーンズの尻が破けている存在だったりする。
世の中的にはちっともかっこ良くないし、誇れもしないが、何故だか最高に温かく愉快で、愛おしい。
うっかりと書いたがこの映画、全編通してうっかりの嵐。
そもそもうっかり線路に落とされ、
助けた方もうっかり誤解を招く独り言を呟き、
またそれを小耳に挟んだ者がうっかり勘違い、
家族も医者もうっかり真相の説明を聞かず、
誤解が解けないまま更に色んなうっかりが追加される。
うっかり猫を飢え死にさせそうになったり、
うっかり片方の玉をなくしたり、
うっかりドアの金具を吹っ飛ばしたり、
挙げればきりがない。
このアイテムで吹っ飛ばします。
うっかりに関しての、アメリカと言う国の底力を見る思いである。
はかり知れない。
沢山のうっかりに彩られながら、彼女と弟(至福)は次第に歩み寄り、離れがたくなる。
そうなるとたとえ兄(当初の理想)が目を覚まそうと、偽ることなど出来なくなる。
逆を言えば、エゴの作った理想を眠らせない限り、真に満たす歓びとは出会えない。
兄が線路に落っこちなかったら、その弟とルーシーが出会うことがなかったように。
トラブルに見えたことも実はトラブルではなく、変容に向かう大切なきっかけであったことが分かるのだ。
とても面白いのが映画の中での兄の名前「ピーター」はペテロが元で、本来の意味はギリシア語で「石」「岩」。
弟の名は「ジャック」で、ジョンやジェイコブが元になり、更にジェイコブはヤコブに由来する。
ヤコブはヘブライ語でかかとを掴む者、そこから「人を出し抜く者」を意味する。
なんでかかとを掴んで出し抜いたことになるのかと言えば、旧約聖書でヤコブが双子の兄エサウのかかとを掴んで産まれ、後に兄を出し抜いて長子の祝福をうけた伝説があるから。
映画の中で弟が、眠りについて岩と化している兄に向かって、ルーシーへの想いを告白しながら勝手にポーカーを挑むシーンがある。
ピーターはロシアのピョートル帝や、キリスト教を下地にしたファンタジー『ナルニア国物語』の中にも「一の王ピーター」と呼ばれた長兄が居るように、「王」と縁づく名と感じる。
そんなキングにジャックが挑む。クイーンを挟んで。
これは不覚社会が作り上げた階級や理想へ向けた革命の物語でもあるのだと、ポーカーのシーンを観ながら感じ入った。
出し抜くと言っても、ジャックは卑劣な手を使ったり強引に奪い去ったりした訳ではない。
最後の最後まで彼女の自由意志を尊重し、道がどう開けようとも、変わらず彼女を愛していた。
だから全てはルーシーにかかっている。
ルーシーという名前の元はイタリア語のルチアやフランス語のリュシー、ロシア語ではルシア。
いずれもラテン語のルキア、「光」に由来する。
意識も御神体も本来は全母から放たれた光。
その光の存在が、自由意志によって、至福と添い遂げるのだ。
お迎え待ちでは話にならない。
「あなたが寝てる間に」と、…も付けずにはっきり申し上げる。
寝かすのはエゴがこしらえた理想であって、皆様の意識ではない。
「あなた(意識)が寝てる」なら、その「間に」、事態はどんどん荒れて行く。
ルーシーは
ちゃんと起きていること。
でなければ、偽の幸福が寝たことも、真の至福がやって来たことも、分かりはしないからである。
エゴの理想を寝かせてみよう。
(2017/2/23)