あけましておめでとうございます。
2018は相当な年らしく、景気づけに初っ端から左側を開けてみることになりました。
本年も楽しみつつ全力投球で参ります。
よろしくお願い申し上げます。
《もとの日》
元の日と書いて元日と呼ばれる今日は1月1日。
「あ〜はいはい、2018ね」となる雰囲気はまだない。
出来立ての年の初日というだけで何もかもがちょっと目新しくなる。
一年で最も瞬間のNEWさが
際立つ日と言える。
「一年の計は元旦にあり」とかの言い伝えもあって、
「この日ばかりは滅多なこと出来ん」
と気を引き締められている方も多いのではないだろうか。
ところで、もとの日を「本」の「日」と書いて本日と言ったりもする。
これだと1月1日に限らず、1月2日から12月31日までも加わり、あらゆる「只今体験中の日」は全て、本日となる。
どちらも間違いなく「もと」であるのだが、そう言えば
元と、本ってどう違うのだろうか?
元は「かんむりをつけた人」の象形文字で「かしら」や「はじめ」とも読む。
一年とか、集団とか、細かく割ることも出来る大きな存在の先頭を表す時に使う。
そして、本は「木」に根元を意味する「一」を足して出来た指事文字。
「本当」とか「本来」とか、後先は関係なく最も大事な部分を表す時に使う。
本当に大切なことを知り、本来の自然な動きをするには、何を置いても「根が真っ直ぐ深く伸びている」必要があることが良く分かる。
端末同士で牽制し合い、エネルギーを奪い合うと根は横に伸びる。
「本」の字の根は、真下に伸びている。
周囲から養分を奪わずに、只下へ下へとひたすら深く根を延ばす者は、それだけ上も繁栄する。
これは上から降りたのだが「終わり」は、本来永遠無限ないのちの流れを必要に応じて区切って「尾」を「割り出す」、「尾・割り」だからオワリなのだそうだ。
そして割った反対側として、ここから続いていく端っこが空間に出来上がり、「端・坐り」、で「始まり」となる。
「終わり」と「始まり」は近しい様でいて、全く異なっている。
完全に区切りをつけることは、進化を促すからだ。
他のどの端末がどのような反応をしようとも、虚空、分母のゼロ、全一の元である全母は、進化するあなたの動き全てを歓びと共に観察している。
物理次元の根本はゼロである。
元本割れはないので、安心して自由闊達に2018をお楽しみ下さること。
元の日はその自由を意志し、高らかに宣言する歓びの日なのだ。
元々輝く素晴らしさ。
(2018/1/1)