《骨と羽》
「わぁ、そうか夏休みか!」
普段何の気なしにぷらぷら歩いたりする賑やかな街に、この所一層多くの、色んな人達が行き来しているのに気づいた。
ちいさな人達と、彼らと一緒に行動するおおきな人達が殊に増えた気がする。
休んでいると言うより、これはこれで職務を全うしている感じでベビーカーを押しつつスマホで場所を確認している様子のおおきな人。
一人の指さす方向に、みんなが付いて行く中で、あらぬ方に走り出し持ち上げられて運ばれるちいさな人。
様々な動きを眺めながら「休む、とは?」と浮かんだ。
休暇とも書くのに、あまり暇そうではない。
学校や職場にとっての休みであって、体を休める期間になるかどうかは別の話な様だ。
寧ろ、学校や職場に通いながらでは出来ないことをこの機会に楽しまねばと、羽を伸ばそうとしている風に見える。
人体に羽は付いていないので、意識が自由を感じて喜ぶことを羽を伸ばすと言うのだろうか。
家族の要望に応える為にしている動きなら、羽が伸びているかはちょっと分からない。
本人も楽しんでいれば伸びてるかも知れないが、親として子としてやっとかないとと言うことなら家族サービスへの従事で仕事めいて来る。
実家や婚家の親戚付き合いや行事に参加して、休めもしなけりゃ暇でもない、逆に忙しいと言う人も居るのではないだろうか。
業務の内容が変わるだけで、これも仕事中に変わりない。
違いがあるとすれば働きに応じた給料が出る訳ではないと言うこと。
と言っても世間体とか、関係を保っておかなくては有事や相続の時に貰えるものに差が出るとか、損得が絡む事情もあるので、奉仕の心で完全に無償で提供と言う訳でもない。
その辺りの計算もあると、心身は尚更休まらない。
この時期に羽を伸ばしたい人が居れば、骨を休めたい人も居るだろう。
元気いっぱい休みを楽しむことこそ幸せ、と言うイメージが人々の意識にあるので、骨休めは羽伸ばし以上に難しく感じられるかも知れない。
だが、とても大切なことだ。
暑さでぼうっとするとかでなく、適温の環境で心身を緩ませる時間を持たれることをお勧めする。
そんな時間はないと感じても、長い短いを気にせずに、「只緩む時間を作るなんて…」と言う遠慮も取っ払うと、結構出来るものだ。
張りつめていると分からないことが、緩むと不意に分かったりする。
緩むと自然に骨も休まる。
必要に応じて羽を伸ばすのはそれからとなる。
興奮を起こして元気っぽい感じを出そうとして、無理に羽を引っ張って伸ばすと、骨が折れることになる。
羽を伸ばすの羽は羽毛ではなく、翼のこと。
その翼を支えるのは何か。骨である。
成長には柔軟さも大切。
誰はばからず、緩む時間も必要不可欠なのだ。
緩めて伸ばす夏。
(2023/8/10)