《食に楽いを》
ひょんなことから明治期に書かれたある小説について調べていた所だったのだが、それも味や香りなしには語れない作品。
前回味と香りについての記事を書きながら、これも面白い巡り会わせだと感心した。
この作品は明治36年(1903)の正月から年末まで約一年かけて報知新聞に連載された。
人気を博した為に連載中から、春夏秋冬と季節によって全体を分ける内容を書籍として刊行。
ベストセラーとなり同タイトルの雑誌や続編も生まれた。
この物語には大食漢の文士大原君と、大原の親友中川君、中川の妹で大原と惹かれ合う料理上手のお登和嬢、大原の許嫁お代嬢等色々な人物が登場する。
恋愛小説の形を取りつつ、四季折々の食物や料理についての紹介も含めた作品になっている。
令和の現代に読むと当時とは随分社会通念が変化していることも分かり、そうした点も興味深い。
著者の村井弦斎は儒学者の家系に生まれ、ロシア語や英語を学んだ後に郵便報知新聞に入社し編集長になった人物。
新聞社勤めと並行して未来戦争小説や政治小説、発明小説等のジャンルで人気作を生み出し、小説家としての地位も確立した。
彼が持つ文筆家としての力を、妻村井多嘉子の料理家としての力が支え、『食道楽』の世界を作り出している。
そもそも妻の料理に影響を受けて書かれた作品だそうなので、夫の筆に支えられて妻の才能が世に出たとも言える。
大ヒットで得た報酬によって、一万六千坪あまりの土地を郊外に入手した夫妻。
三男三女を育てつつ、自然豊かな環境で野菜や花や果実を作り山羊や鶏を飼って食の探究を進め、美食家として名高い人物となった弦斎の元へ各界の著名人や食品会社の社長が、指南や交流を求めて足を運ぶ様になる。
弦斎夫人は来客を得意の料理でもてなし、夫から我が家のお登和嬢と讃えられた妻は自宅の台所と共に婦人雑誌の記事にも登場している。
割烹着も彼女の考案と言われており、家庭料理の先導者的な面も持っていた様である。
取っ掛かりは面白い小説を読むとして楽しみの形から入り、村井夫妻が紹介する料理や家庭生活をお手本にした人々はブームのさなかには多く居ただろう。
本編の全4巻セットは嫁入り道具の一つとして、病人への見舞いの品として最適と宣伝されたことからも、滋養に富んだ食事で子をすくすく育てたり、病人の健康を回復させたりする為の、教科書的な役割も持っていたと分かる。
道楽とは元々仏教用語なのだそうだ。
仏道を求めるという意味で、その場合には「ドウギョウ」と読むと知り「ギョウ?」と驚いた。
楽に行、そして業と同じ音をあてることもあるのか。
「この楽は願と同義で、仏道を楽うのが道楽の原意だ」と言う解説を読んで更に驚き、首を捻った。
楽は願?そして音はギョウ?
言葉は、と言うか言葉を用いる人の意識は、本当に摩訶不思議なものだ。
小説『食道楽』の道楽には世間で知られている道楽の意味、「本業以外のことに熱中して楽しむこと。趣味として楽しむこと。また、その楽しみ」の持つ気軽さや曖昧さは感じられない。
姿勢としては仏教用語の方の道楽に近い。
『食道楽』は元々百道楽シリーズと呼ばれるものの内の一作で、他にも『酒道楽』や『釣道楽』、『女道楽』がある。
そのいずれも飲酒の害、正妻以外の愛人を持つ害などを語り教訓を与える啓蒙小説なのだそうだ。
啓蒙の蒙とは道理をよく知らない意であり、啓蒙とはそれを啓くこと、一般の人々の無知をきりひらき正しい知識を与えることを意味する。
彼らの道理はこの後どうなったのだろうと調べていたら、興味深い展開を見せていた。
それについては次週記事で書かせて頂くことにする。
ねがった先にあったもの。
(2023/11/9)