《静けく清しく》
先週申し上げた通り、本日記事では行動を決める前に受け取る、御神体からのメッセージの聴き方について書かせて頂く。
既にカミさんと自然に交流出来て、日々モノコトがサクサクと進んでいると言う方にとっても、世の中でその様には行っていない人々はこう言う点に引っ掛かっているのかと、気づきと理解を進めるポイントになる。
聴くにあたり、必要なこと。
それは、意識の方で前もって「〇〇の為に聴く」と言う条件を設定しないこと。
「もっと」か「これ以上しない」のどちらかが付いている諸条件。
もっと健康になる為に。
もっと豊かになる為に。
もっと美しくなる為に。
豊かを金持ちとか欲深い印象を持ちがちな言葉に変えると、「確かに条件付けですよね」と要望を引っ込める人も、豊かさや美しさとなると「それの何が悪いの?」となる。
健康や豊かさや美しさを求めることは絶対的に正しいと。
欲を持つことも求めることも勿論別に間違ってはいない。が、正しくもない。
単に今申し上げている様な、分け隔てなく丸ごとを聴こうとする時には適当ではないと言うこと。
適さないと言う意味ではその場に合わない、間違っているとも言える。
「もっと」ではなく「これ以上しない」だとどうか。
これ以上、病まない為に。
これ以上、貧しくならない為に。
これ以上、醜くならない為に。
醜く、はそのままの表現より、老いない為にとか太らない為にと具体的にすると分かり易いかも知れない。
まとめれば、
もっと幸せになる為に
か、
これ以上不幸にならない為に
となる。
このどちらかに沿って事前テーマ設定をしてから聴こうとしているなら、果たしてそれで丸ままを聴けるだろうか。まるで、
お前の話はいいから、訊かれたことだけ答えるんだ
と言わんばかりの態度ではないだろうか。
意識内に「こうなりたい人生」とか「今こうなってる人生」等思い描いて、その雰囲気に合わせた“曲”を流している人は多い。
自分の好きな音楽を流して、その曲調に合わせたノリを求めながら「はいどうぞ喋って」では、何が返って来ても小耳に挟む程度のことにしかならない。
御神体からのメッセージは控えめで、少しも押し付けがましくない。
焦らせたり脅かす様なものでもない。
穏やかでまともで、不覚の分割意識がああでもないこうでもないとやって捏ね繰り回しているものより、余程役に立つ。
それはあらゆる要求要望を引っ込めて聴こうとしなければ、受け取れないものなのだ。
静かで清々しいメッセージは、受け取る側もそうなっていればスムーズに伝わって来る。
静かに聴くこと。
すると「ご清聴ありがとうございました」と言われる様な、清しく聴くことが叶う。
BGMを消してみる。
(2023/8/28)