《軽い力で》
軽いノリで始めたことが、面白い発見や気づきを起こし、驚く様な深い歓びや味わいをもたらす。
こんな感じの日常を過ごしている。
不覚社会では「軽」をあまり歓迎しない場合もある。
軽々しく言うな
軽率な判断だ
軽はずみに行うな
等々。
軽率に使われる率は率直の率でもあるのに、軽が付くと急に、よろしくない雰囲気になる。
「率直に申し上げて」とか「率直なご意見をお聞かせ下さい」はあっても、軽率に申し上げたり、軽率な意見を募集したりするのは見たことがない。
「お気軽にご意見をお寄せ下さい」「お気軽にお立ち寄り下さい」と言うのはある。
「気」は元々軽いものであるからOKで、ところが「率」だとそうは行かなくなる。
確率や能率など成果を重んじる見方をした時に、意味や効果がないどころか逆効果もあり得る軽率は、歓迎出来ないと言うことなのだろうか。
軽率と言う表現には、どこか無駄を嫌う雰囲気がある。
面白いことである。
軽いノリで行動する時、それについて事前に有益か無駄かと言った査定をすることは特にない。
だが、結果としてまさに必要なことがもたらされ、世の中的に言うところの“収穫の多い”状態になることも珍しくない。
驚く程、あっさりと。
そして、見事な展開で。
軽はずみな気持ちで大事になった、なんてことも耳にする不覚社会。
そこには無駄は嫌だし大変な事も嫌だ、そんな気持ちが見え隠れする。
軽はずみな動きが時として大事を起こすのは、そこに期待や迷いと言った、余計な抵抗が起きていないからでもある。
「どうせダメですよね」「絶対こうなりますように!」「どうにかして下さい」などの念が挟まらない、軽い方がすんなり通るのだ。
軽やかに舞うとか、軽快なステップなど、軽は素敵な感じで使われることもある。
ポイントは軸だと言える。
中心軸がぶれて浮足立つと、軽く弾んで行った言動は、大きな揺れを巻き起こす。
自他に捉われない中心に軸が定まっていると、軽いノリで思いがけない楽しい出会いや学びを体験する。
軽い力で、すいすい進む。
(2024/11/11)