《話半分?》
静かに聴くことに慣れるまでの間も、途切れ途切れになるなどしてスムーズには伝わり辛いがメッセージの受け取りは可能。
分割意識の方で分かり易い様に言葉に自動変換して「カミさんが喋った!」風に受け取ることもあるが、元々は言語を介す必要のないメッセージ。
取った行動に対して歓びを示す様に胸の中心が不意に温かくなる
とか、
必要な行動のヒントが目に映るモノの姿となって現れる
とか、
滔々と溢れて来る天意からの愛のエネルギーを感じる
とか、伝達方法は様々である。
先の2つはコミュニケーションの一端として分かるが、天意からの愛のエネルギーが何の役に立つのかと言う人もあるかも知れない。
分割意識が何者かになりたがる時、生まれたからには何かを成したいと言う気概や冒険心によるものではなく、寄る辺ない心細さの裏返しであることも多い。
まず、どれ程御神体から愛されているかをちゃんと聴くことは重要。
分割意識が目の当たりにする世界が、どれだけ生き易いものに変わるかはそこにかかっていると言っても過言ではない。
生き易いものに変わると言うのは、別に魔法でも何でもない。
眼にぴっちり貼られていた生き辛シートが剥がれて、そのまんまの世界が現れるだけだ。
目から鱗と言う表現は、実に的を射ている。
魚の鱗位丈夫な、俺色や私色に彩るレンズを嵌めたままで「世界ってこうだよね」と眺めていれば、実際の世界との間に差が出る程に見辛く、生き辛くなる。
御神体からの愛を静かに聴いて受け取っていると、裸眼で世の中を見渡すのも悪くないかもと余裕が出て来る。
聴くことで見ることも変化する。
面白いことである。
御神体から伝えて来ることを素直に聴くと決めたら、前もっての条件設定を止め、お気に入りのBGMを消してみるのと併せて、
聴きたくないことを排除する癖があるかどうか
あるならそれはどの様な内容を排除しているのか
これについても意識を向けると、持ち合わせている癖について気づく機会が増える。
具体的には、「あ!これは(ちょっと聴きたくない)」となって、内容がすんなり入って来なくなる時がチャンス。
急に他のことに気を逸らしてみたり、ぼんやり靄をかけたみたいな状態にして
「うん!大体わかった!!」
と、片付けようとするなら、そこには「嫌だ~」「パス!」「チェンジ!」等が発生している可能性がある。
たらふく食べたい人が心がける腹八分目は適度を叶えるものだが、聴きたいことだけ聴く人がする受け取り方である話半分は、全てを未消化にする。
話半分には、「話が全部済まない、途中」と言う意味の他に、 物事は誇張して言い伝えられることが多いからとして、「他人の話は半分ぐらい割り引きして聞くと、ちょうど本当の所を掴める」と言うもう一つの意味があるそうだ。
誇張して言い伝えられるのが前提であるのが実に不覚らしい。
そして半分にしたら本当と言う、見なし方も実に不覚らしい。
山盛りだろうが、半分だろうが、ご飯はご飯。
鵜呑みにしようが、疑って割り引こうが、我欲を含めた話が真実に変わることはない。
飯を半分に減らしたらパンになったぞなどと、聞いたことがあるだろうか。
空にして、分かるもの。
(2023/8/31)
8月のふろくはお休みし、9月に2つご用意致します。