《親にも子にも》
このところ長々とした記事が続いたので、今月はなるたけあっさりした内容を書かせて頂くことにする。
まずは毎年何らかのお知らせをしている母神祭について。
既に各人の理解と成長にあまりにも差が出来ていて、まとめて何かをする時期は過ぎているそうだ。
又、本年も、興味が湧かれた方はそれぞれの担当地域に貢献をなさっておられるだろうとも来た。
そちらを祭となさって頂くことで結構であるし、貢献はしたが母性については意識していなかったと言う方は、あらためて全体への母性を発揮することを意志して虚空に問いを発し、返って来たもので必要な行動をなさってみて頂きたい。
ごく近くでのことでも、大きなことでなくとも構わない。
遠近や大小は関係ないのが、全体一つの世界だからだ。
全体一つに溶ける前であっても、全母性に意識を向けていると必ず全母からの“返し”がある。
それは言葉のかたちで来るとは限らないし、ごく静かで微かなものなので、言いたいことや分かって欲しいこと、して欲しいことなどを念じて、母の声が掻き消される勢いで「おかーさーーん!」とやっていたら、当たり前に聴こえない。
受け取りたい内容を予め選定して、形だけ静かにして必死に祈ってみても、心の中が「こんな感じでお願いします」で塞がっていたら、やはり聴こえては来ない。
お行儀良くかしこまったりしていなくても、愛から気楽に受け取る時、母からの天意はすんなり届く。
アイにはアイで、感じ合うからである。
親に子を育てると言う役割があることは知られている。
だが、子にも「育つと言う役割」があることは存外知られていない。
親らしさを求めて、こっちが満足するまで育てて欲しいと縋り付くだけで、自ら成長をしない。
それは子ではなく、おんぶオバケみたいなものじゃないだろうか。
これは物理次元上に存在する親子の関係でも同じことが言える。
満足とは本人以外の誰かによって与え切れるものではないし、
成長とは満足が叶うまで、据え置きされるものではないのだ。
「育つ」と言う子としてのシンプルな役割を果たすことなく、虚空に対して親の役割を果たすことを要求したり、その代わりをしてくれそうな相手を探しておぶさろうとしても、ご承知の通りそうした不自然な動きは日に日に難しくなっている。
今月は世の中の動きも観察しつつ母性に意識を向け、個を超えた全なる母性、全母性について改めて向き合う機会を設けて頂くことをお願い申し上げる。
あらゆることの基本であり、
世の中の揺れ動きがどれ程大きくなったとしても全母性と一体である時、
それを困難ではなく変化の後押しとして受け取れる様になる。
親にも子にも、役割あり。
(2023/12/4)