《自覚なき偏見》
御神体が何を必要としているか、意識を向けて丁寧に応えて行く。
するとタイミングが合うとか力添えがあるとか、様々な「行動をとり易くなる」と感じる“かたち”で応えがやっても来る。
このやり取りを重ねて行くことで、分割意識と御神体とに共有される感覚が磨かれて行く。
その時に、勿論全て自由意志であるので止めはしないが、全くお勧め出来ないことがある。それは、
御神体を操ったり支配しようとすること。
と言っても、これに「そうだな、随分勝手して来たけど、これからは変えよう」と、自覚する方は少ないかも知れない。
「操り?支配?そんなことしてませんよ!」
と、人聞きが悪いと立腹するか、そんなことないんだけどなぁと頭を搔くか。
どちらにしても、そんなつもりはまるでなかったと言う分割意識の方が多いだろう。
何故なら、自分の体は自分の好きにして構わないモノと見なしているから。
この自覚なき偏見の存在を示す象徴として、近年取り沙汰される様になった夫から妻へのモラハラがある。
不覚社会では、勿論妻の立場にある者から夫へのモラハラが起こることもある。
性別関係なく、我を通そうとする力が強い人物によって操りや支配は行われる。
「男性から女性へ」「女性から男性へ」と言ったことではなく、実際には男性型女性型と言う端末の形を問わず「歪んだ男性性の持ち主から」ハラスメントは発生する。
とは言え時代の変化も手伝って、目立って分かり易く象徴的役割を果たしているのが夫から妻へのモラハラ。
モラハラ夫の多くが「妻が嫌いだから苦しめてやろう」と思っている訳ではない。
思っているどころか、「正しいことを教えてやってる」等、良かれで飾って我を通す。
そんな調子で“普通に暮らして”いたら、段々社会の雰囲気が変わって何か文句言われる様になったと驚きつつ、
「えぇ~。もしかして、俺の方が変だって言ってる?」
となっている感じではないだろうか。
ここから「そっか、気づかなかった」と変わるか、「面白くない」と頬を膨らましてだんまりとなるか、「ふざけるな!誰が食わしてやってると思ってるんだ」と荒れ狂うか。
夫それぞれに進路は異なるが、「誰が食わしてやってると思ってるんだ」と同じに、不覚の分割意識も御神体に対し「誰が動かしてやってるんだ」と勝手に主従関係を定めている。
一家の主は自分であり、モノコトの決定権は自分にあると。
決定するのは結構だが独断で行うのではなく、その前に聴くことが必要。
次週はその聴き方について書かせて頂くことにする。
意識だけで、何が出来る?
(2023/8/24)