《細かい力で》
「細かいことは気にするな」
「このままでは先細りだ」
「金に細かい」
軽と同じく、「細」にもあまりよろしくない時に使う表現が色々ある。
よろしいと歓迎する使い方としては、「微に入り細を穿つ」とか「神は細部に宿る」あたりが挙げられるだろうか。
「神は~」には真逆の意味となる、「悪魔は細部に宿る」の格言も存在するらしい。
「悪魔と天使が細部に宿る」と表現した人もあるそうで、神も居る訳だし、そうなると細部とは結構賑やかな場所である。
中心が定まらない状態で力を放ち、それが結果となって細部に表れる時。
神やら悪魔やら天使やらがごった返す、その時でコロコロ変わるものとなっても不思議ない。
「細部」を「末端」と結び付けることも出来るが、細は末だけに限らない。
肌理細かなと表現することもある様に、目の細かさや粒の小ささも細である。
何だってこんなことを書いたかと言えば、軽さと並んで細かさも、エネルギーが自然な循環をするのに欠かせない要素だからだ。
ゆっくりとした深い呼吸で、御神体に十分な酸素が行き渡る。
これは軽さと細かさが同時に活かされる動きとして、分かり易いものの一つである。
その肌理細かさは、思考や感情に染まらない、生きることそのものの歓びを静かに湧き上がらせる。
細かくチェックをする等、「細」の状態を神経を尖らせて叶えようとすることは世の中に多い。
尖らせたものでなるべく細かい穴をあけ、微に入り細を穿つ状態を作ろうとする動きなのかも知れない。
だが、尖らせ続ければ神経はやがて疲弊する。
そうして疲れや我慢を溜める状態は自然とは言えないが、これもやってみたかったのが不覚全盛時代。
変てこな動きコレクションの中には、とっくに納入済みの体験である。
それでも名残として、癖の力を借りて、2024でも世の中のあちこちで続いている。
新しい時代に生きる人は、そこに付き合う必要はない。
眉間に皴を寄せるより、細かな動き、小さな動きそのものを愛すること。
落ち着いて、楽しさも見出しながら行うこと。
そうして坦々と集中する時、尖らせてするよりスムーズに、肌理細かな仕事を成せるのだ。
細かい力で、行き届く。
(2024/11/14)