《素の腹》
街中ですれ違う人が発した一言が、ひょいと耳に入って来る。
そこから面白い発見や気づき、理解に至ることがある。
ふと耳にした言葉が気になると言う体験は、不覚社会でもそう珍しいものではないかも知れない。
だが耳にする内容とそこから起きる流れは、全く違ったものになることが多い。
意識が抱える「世の中はこう」「自分はこう」と言った固定観念やその時々の願望がフィルターとなり、挟まった状態になっているからだ。
フィルターが沢山重なっていればいる程、それに合った言葉だけを耳が拾う。
だから聞いている風で殆ど聞こえていないし、日頃から意識的にメッセージを聴こうとしている人も、気に入った言葉を“つまみ聴き”するだけの状態になっていたりする。
目が覚めると、当たり前に耳も覚める。
前もって聴く内容を選んで注文を付けたりしないし、そもそも選ぶ基準がない。そして選ぶ必要もない。
そうなると、入って来る一言も新鮮な未知の驚きに満ちている。
先日も男女二人連れの方とすれ違う時に、男性が女性に仰った未知の一言をお裾分け頂いた。
「違う、そっちのすっぽんぽんじゃなくて」
すっぽんぽんに種類が?
一体どう言うことなのか。
早速調べてみたが、どうにも素っ裸以外に、すっぽんぽんの意味が出て来ない。
「すっぽんぽん」の「すっ」は「素」のことで、「素っ裸」の「素」と同じらしい。
「ぽんぽん」についてはハッキリと分かっている訳ではないが、幼児語の「お腹」を意味すると言う説が主流である。
他には「ポン!」と勢いがついた様子を表すと言うのもある。
結局の所、すっぽんぽんの素っ裸以外の意味は見つからなかったが、興味が湧かなければ意識を向けたり調べて確認することはなかったろう。
これも又、ありがたい機会であったと感謝した。
「すっぽんぽん」と言う表現を改めて観察していて成程と頷いたのが、
腹が存在の元であること。
素っ裸は、丸裸とも言う。
本来丸ごととは頭のてっぺんから足の先までになるはず。それが、ぽんぽんでまかなえてしまう事実。
すっぽんぽんのぽんぽんがお腹であるなら、「腹こそ全ての元」であることを示していると言えないだろうか。
ぽんぽんと音が出る腹とは、満ち足りている腹だろう。
お腹と背中がくっついた腹ペコ状態を、ポンと鳴らすのは難しい。
飾らない素っ裸だと、自然に満ち足りる。
すっぽんぽんは面白い言葉である。
素の腹でしか、分からぬこと。
(2024/4/25)