《生ける役割》
どの人型生命体も、一つのいのちとして観察する。
この基本に加えて最近、更に面白い見え方をする様になって来た。
それは、
人=役割
と言うもの。
一つの役割に固定されているのではなく、別の役割に切り替わったり、幾つもの役割を兼ねていたりもする。
道行く多くの人を眺める時、
「沢山の役割が歩いている」
そんな風に、見えている。
そしてその中で、宮司を名乗る“これ”も、役割として動いている。
面白く、興味深く、そして楽しいことである。
人を人として眺める時、覚めない人々はそこに様々なものを持ち込むことが多い。
人としてあるべき正しい姿のイメージ。
複数の中で優れているかどうかの判定。
培ってきた癖で作られた個人的な好み。
人のことを役割として見る時、対象となる人が何をしていようと、又、どんな風にしていようと、
ああ、今この役割が、ここで果たされているのだな
と、余分な意見を差し挟まずに、静かに観察することが出来る。
そうすると、心を広くしてとか、時には我慢してとか、どうにか相手を受け容れようとする努力が要らなくなる。
歓びと共に弥栄を意志する、全体一つの流れ。
これは個人が心がけなくとも、元から自然に物理次元にある。
個人に必要なのは、その流れを作り出そうと心がけることではなく、元からあるそれを発見することだ。
全体一つの流れの中で、無数の星の様に役割達が点滅して、富記を織り成している。
この流れと点滅にフォーカスして、観察をする時。
自らと認識する端末の役割を、その時その時で果たして行くことに意識が注がれる。
呼吸するのと同じ位、自然に。
人型生命体は生ける空間であると同時に、
生ける役割でもあるのだ。
そして生そのものが、一つの役割でもある。
日々果たす、富記の一節。
(2024/12/5)