《溶け合う世界》
大統領選挙で賑わう様子を眺めていて、
「激戦って、そう言えば面白い言葉だなぁ」
と気づいた。
同時に「接戦」の言葉も飛び交っているので、接近してぶつかり合う程の状態を激しい戦と表現するのだろう。
激しい戦ではあるものの、関わる有権者達は、結構楽しそうに見える。
明るい部分はとびきり明るい、自由の国と名乗る場所ならではのことなのだろうか、ショータイムを盛り込んだ、スポーツなどに近い感じ。
日本国内で報じられるような
「義務だから行かなきゃ…でも面倒だな」
「どうせ行っても変わらないよ」
「誰に決まったって大差ないよ」
「ちゃんと行かなきゃだめだよ」
こんな感じの行く行かないを問わず暗めな選挙観は、世界各国の中では割と珍しいのかも知れない。
だがそれも変わって行く。
「自分の暮らしは自分で何とかしてね」
「外国語も普通に扱えるようになってね」
「男も女も老いも若きも、働ける人は働いてね」
こんな感じの要請に、今は右往左往している人々の中に、新しい波に揉まれて次第に柔軟性と自立心が育って行く。
それは政治観に、更には選挙観にも大きな変化を起こす。
じわじわ、ゆっくり。
「パーッと視界が開けて見る見るうちに、何もかも出来てほしいよユートピア」
そんな願いを持つ人も居るだろうが、人々の中に残るエゴが流れを止めるので、進みは行きつ戻りつする。
それに、虚空はユートピアを作ろうとしている訳ではない。
ちょーだいちょーだい、まだですかぁ
と、誰かがその大きな変化を用意してくれると思って、声だけ大きくして待っている人々は、いざそれが誰の目にも明らかになった時に、ついていけなくてぽかんとすることになるかも知れない。
変化はそれぞれの内側に起こり、外に溢れ、集まって大きなものになって行く。
内外も自他も、本質的な違いはなかったねと分かる時、不要な争いは自然に止む。
戦いは、勝負をつけるかたちで互いに成長することが必要な時に起こるようになる。
両者がそれを、自覚した状態で。
2024では目隠ししたまま、事情と都合とがぶつかり合う激戦。
それを興味深く、味わうことが出来た。
溶け合ったら、戻らない。
(2024/11/7)