《満ちて熟す》
以前の記事の終わりに円熟味と書いた。
円熟の意味を改めて確認してみたら、人格・知識・技術などが円満に発達し豊かな内容をもっていることなのだと言う。
円満な発達が円熟な状態を生む。
発達が満ちて機が熟し実りとなり、熟した実りを味わって満ち足りる。
世界は豊かに巡っている。
円満の後に続くのは発達ばかりではなく、例えば円満に解決すると言った表現もある。
これは丸く収まると言い換えることも出来る。
発したものが達するのも、解いたものが決するのも、両方「円満」と表現出来るのは興味深いことである。
円満解決の類語に、一件落着とあった。
「これにて一件落着!」と宣言される時、時代劇では爽やかな終幕となる。
円とか丸とかを人間が表現上好むことは珍しくないが、落については嫌われるパターンもあるので興味が湧いた。
都落ちとか試験に落ちるとか、人は落ちたり下がったりを嫌う。
がその一方で、落ち着く所に落ち着くと言うと、ホッとしたりもする。
面白いことだと感心してふと、落下と落着で違うものは何だろうかと浮かんで気づいた。
土台の有無。
どこまで落ちるか分からない底なし沼の様な落下は人にとっては恐ろしい。
だから怪我なく、又は深い傷を負わずに着地出来る時にはホッとすると言うことなのだろう。
人は幸せを天にも昇る心地と言い表したりするし、地を這う様な状態は辛く惨めなものとして、嫌ったり嘆いたりする 。
地にはあまり、人間にとって恰好いい役や華やかな役は回って来ない。
だが危機的状況に陥った時などに、人が「止めて!」と落ち着きを求めるのは地なのだ。
「地母神」の様に、地には父より母が結びつけられる。
地の凸部分と関連づけて「岳父」とするなどの表現もあるにはあるが、母なる地球はあっても父なる地球と言うのはやはり聞いたことがない。
軽く視て甘えて、いざとなったら頼りにする。
地の捉え方には、人間の母に対する捉え方、引いては母性への捉え方が表れている。
不覚社会の中には、軽んじることなど子達には恐ろしくてとても出来ない支配者的性格を持つゴッドマザーも居る。
だが、地球と言うお母さんを眺めていると、支配と母性は無関係だと自然に分かる。
「支配されてるもん!重力に!」
と言うなら、重力の手が離れて宇宙のちりになって漂うことが自由となる。
「それはそれで嫌!もっと広い所で好きに遊ばせて!」
とお子様発想のままで騒ぐことは、ご承知の通り変容の時代にはどんどん難しくなっている。
満ちて熟し、人の姿をしながら全母と同質の分神として生きることを決めた人々は、天に逃げるのではなく、地に興味が向かう。
当たり前に足元にあった手付かずの未知を、静かに愛で開いて行く。
ずっと地に、抱かれて来た。
(2023/12/21)