《楽園に吹く風》
何につけ隠蔽が難しくなっている昨今。
パワハラとモラハラとセクハラとやりがい搾取を混ぜて煮詰めて、グルーミングで綿にくるんだみたいな内容の、自由意志を無視した行いが表沙汰になり、男の園に激震が走って抜けかけの歯みたいに日々グラグラしている。
と言うのは、ニュース等で観て御存知の方も多いかも知れない。
先日ひょんなことから観た別のニュースで、この国の芸能ごとの世界ではさしずめ女の園と呼べるだろう団体にも、構成員の方が謎を残して世を去られる出来事が起きたと知った。
一個人としての選択ではなく、行動の背景に女の園独特の事情が影響していることを知り、男の園が揺れれば女の園だって揺れるのかと頷いた。
どちらの園にも共通するのは、
同業の同性が集う閉鎖的空間であること
そこでのみ成立する規律や戒律があること
大勢の中から選抜したり組み分けをするシステムがあること
彼らに対する信仰心の様なものを持ち合わせた支持者達に支えられていること
その集団ならではのカラーを持った夢の世界を表現して人を集めること
光輝くスター的なものを生み出して人を惹きつけること
等々あるが、まとめて言えば集団の構成員や支持者にとって一種の楽園となっていることが共通している。
観客が満足納得して次も足を運ぼうと決める、日常から離れた光輝く夢舞台を作り上げるには、地道な努力が求められる。
そこに加えて、覚めていない状態では様々なプレッシャーが、ナナメった状態の意識にのしかかる。
選ばれるかどうか。
ミスしないかどうか。
大役に相応しく在れるかどうか。
次も役があるかどうか。
先輩を超えられるかどうか。
後輩に追い抜かれるかどうか。
周囲に迷惑をかけないかとか、努力が日の目を見るかとか、挙げればもう切りがない。
観客席から沢山の人に見られている状態も、気持ちに余裕が有れば刺激だが無ければ重圧となる。
期待に応えて動きたくなる気と、重圧を感じて固まりたくなる気が同時に発生する独特の空間。
閉ざされた空間にこうした圧がかかれば鬱憤を晴らそうとする者が出ても、そのやり方が相手の自由意志を無視するものとなっても不思議はない。
そんな旧時代も過ぎ、自由意志が基本となる新世界では、閉ざされた空間から籠もった空気が吐き出される現象が起きている。
隠蔽していたものや、隠蔽体質そのものの開示。
これは不覚社会のごく一部にある特殊な集団にとっての特異な出来事、と言う訳では勿論ない。
世の多くの方々の意識上にも、大小様々な“楽園”がある。
そこにも新風が吹き抜けますよと言うお知らせを、芸能ごとと言う世の中で派手に目立つ所を担当する存在達が、広く報せる役も引き受けてくれているのだ。
人工的な楽園は、風が通り抜け易くなる様な変革を求められている。
聖域扱いして、不可侵な状態にしておくことは出来ない。
躊躇いなく風を通すことが出来るかどうか。
各々の楽園に言えることであるし、世間で目立つ楽園、男の園や女の園がこの先も存在発展するかどうかの岐路にもなるだろう。
塞いだまんまじゃ、進めない。
(2023/10/9)