《本当の感謝》
“自分に都合がよい時だけ
感謝するのは、本当の感謝ではない。”
本当の感謝とは何だろうか。
自分に都合がよい時だけ感謝の姿勢を見せることに慣れた人々は、
「本当の感謝って言われても、何なのか分からない」
と思うかも知れない。
あれも有難いこれも有難いと、何にでも笑顔で手を合わすことが本当の感謝だろうか。
内心では嬉しくないと思っていることや、好きではないと思っていることに対して、無理に笑顔を作って手を合わせるならそれは自他を騙す行いと言える。
嘘にならないように何でも本当に嬉しくなれ、何でも本当に好きになれと、自分に対し要求して、そう思い込むようにするのも無茶であり、己を脅す行いと言える。
意識が空に還ると、世の中で人々の意識に強く刻まれた好き嫌いも、様々な傾向の一種として軽いノリで観察する様になる。
意識が空に還ることなく、全体一つの感覚も分からないまま、イメージする理想的な感謝の姿を自らの振る舞いで作り上げようとすると、騙しや脅しを使ってでもと言った強引なスタイルになる。
騙しや脅しが要るものを本当の感謝などと呼べないことは、覚めていてもいなくても分かるのじゃないだろうか。
良い目を見させてくれるものに対して感謝の姿勢をとって来た人々は、感謝に賞賛や好意を結びつけたがる。
世の中には、実際は賞賛欲求であるものを承認欲求と言い換えて、当然なことであるかのような雰囲気を持たせる人々がいる。
そうした賞賛に目がない人々をはじめ、多くの人は感謝の中にも賞賛であるとか、少なくとも好意的なものを見出したがる。
だから、好意的になれないものは感謝リストの外に置かれることになる。
いいねと感じる景色の中でしか息をしないと決めて、気に入らない景色を睨んで息苦しさを感じるような暮らし方をするのも、勿論自由。
只、物理次元の面白さや味わい深さは分かり得ない。
感謝とは、それを好きになることではない。
好きになった振りをして、すり寄ることでもない。
本当の感謝とは、そこに新しさを発見することである。
感謝は世界を更新する。
(2024/10/7)