さらあらたに》

 

普段「自分」と呼んでいる、ちっちゃな端末ごとにする体験は本当に多種多様。

 

歴史の中で入れ替えながら人数を増やしてきたのは、この幅広さを叶える為とも言える。

 

自身初と言う意味での新しい体験は、意識にとってより分かり易く、「新しい!」感じる機会を増やす

 

それはこれまで幾度か、申し上げた通り。

 

同じ日はないし、同じ時もない。

 

 

勿論、本来は全てが新しい体験

 

ではあるものの、

 

同じ家、同じ学校、同じ職場…

 

と、出入りするハコが変わらない様に見える時、不覚の分割意識達はそれを“何となくの繰り返し”と、みなし始めることが多い。

 

すると感謝も次第に薄れて行き新しさを感じる力も少しずつ錆びついて鈍くなって行く

 

 

人類初と言う意味での新しい体験観た時に、胸躍るように感じるのは、本来未知を愛する存在であるから。

 

只、それだけではない。

 

“何となくの繰り返し”によって凝り固まった感覚がほぐれて行く心地よさ

 

意識が定めた限界超えて行ける自由さ

 

そうしたものが感じられることも、分割意識達活気づける

 

 

恩恵に浴すると言う表現があるが、人類初や史上初、本邦初公開など銘打たれた、華々しい場面活気を貰うこともその一つ。

 

貰うだけに留まれば、普段はずっと誰かにお風呂に入れて貰い待ち、みたいな状態になる。

 

新しさ誰かの朗報によって浴びさせて貰おうと待たなくても、入浴で体を洗うのと同じに、日常的に感覚を更新して行くことは出来る

 

そしてその方が自然である。

 

入浴を介助によって行う人々は、介助者に感謝をする機会に恵まれているが、「自分で自分の体を洗うことなんて普通」と感動も起こらない人々は、そこら辺を容易く流してしまう。

 

 

「自分で自分の体を洗えないなんて」と嘆き、惨めさを感じる機会を獲得して感謝の機会をドブに捨てる人だって世の中には居る。

 

置かれた状況に関わらず、感覚の更新に必要なのは感謝

 

感謝に必要なのは、の感覚である。

 

起こること新しさ発見する時、また起こること切っ掛けにして新しさ発見する時、そこには人型生命体から虚空へと放たれる感謝がある。

 

そして派手な感情で色づかないので分かりにくいかも知れないが、確かな感動があるのだ。

 

更に新しくなら進化。

繰り返すだけは追加。

(2024/10/10)