《時も変われば》
「ことのゆえの、もののけん…
何が何だかわからないな」
世の中で当たり前の様に使われている名称の中には、たまに奇妙なものが存在する。
先日も調べて意味を確認しながら、訳が分からないと首を捻ったのが
これは、何らかの事件や事故で人死のあった物件のことらしい。
性風俗産業などもそうだが、直接的な表現を避けたい時に、人はこうして「それのあれが、こんなかんじ…?」みたいなふわっとした呼び方をする。
表現の奇妙さに気づけたのはひょんなことから、事故物件の所在地を地図上で確認出来るサイトを眺める機会があったから。
通りかかって「へぇ~」と眺めるだけでなく、目的があって情報を閲覧確認するのが主たる利用法。
こうした物件は、居住するには心理的な不安や抵抗感があるからだそうだ。
その為、事故物件は心理的瑕疵物件と言う呼ばれ方をすることもある。
「でも…何かが変だ」
と、腑に落ちない感じで画面を閉じて外歩きに出た。
先程の変な感じを意識の中でお手玉みたいに放りながら歩いていて、不意にその理由に気づいた。
これ、関ケ原とか入ってないよね?
事故でなくても歴史的事件にはあたるのじゃないだろうか。
事故物件ですと言うラベリングは、物件の中でも特に建物について行われている。
だから令和か平成、遡っても昭和程度の話に限定されているのだ。
だが、土地だって物件。
土地も含めて、時期の選択範囲を「人類誕生から今日まで」としたならば、自然でないと限定したとしても地図上で人死が起きていない場所の方が少ないんじゃないだろうか。
「どこもかしこも?そうだ、どこもかしこもだ!」
と、辺りを見回した。
このことに気づいて見てみると、地図上の事故物件表示が放つ「おどろおどろしいだろ~」の雰囲気も、何だか急に手作り感溢れるものに変わるんじゃないだろうか。
怖がったり気味悪がったりするのにも、特定の条件に絞って視野を狭くしなければならないと言う、ある意味での集中力が必要なのだ。
時も変われば、気も変わる。
(2024/10/28)