《新しい役》
全体一つの流れを感じられる様になり、エゴを使った様々な思い描きから意識が解放されると、自然と気力体力ともに余裕が出て来る。
するとこれまでしていたことについて、個人的な好みに支えられていた部分が大きかったと気づく。
「私はこれが好き」から始まって、好きなものの為には「これをする」として行動を定めるのが人間あるある。
好きなものの為にお金や時間をかける。
好きなものについての知識を深めて行く。
好きなものが共通する人たちと交流する。
そうする時、「見る世界はここからここまで」の薄っすらとした範囲指定が出来て来る。
勿論、好きなものと好きなものの間から新風が吹き込むこともある。
殊に人との交流でそれは起き易くなる。
エゴ満喫コースの人生設計にはそれで十分であるし、覚める気がない人なら実際そうした道で役割を果たしているとも言える。
それでもやはり、好みを基盤にした世界観は丸ごと観ることと比べようもない。
大きな窓のある屋内と、屋外での視界が異なるのと同じである。
覚めることを意志して本道を行く人が、意識の解放を実感するようになり、好き嫌いや思い描きなしに只々今に在り活き活きとする時。
これまで注意を向けて来なかった、好みじゃないものへの興味も同時に湧き上がって来るのは自然なことだ。
好み=その人、ではないからだ。
嫌っていたもの、馬鹿にして軽んじていたもの、避けて来たもの、無駄と見なしていたもの、苦手と思い込んでいたもの、好きでも嫌いでもないが縁がないなと感じていたもののなかに、新しい役は埋まっていたりする。
丸ままの世界を愛で観察し、思いがけない役が巡って来た時には、引き受けてみられることをお勧めする。
それは急にあてられた眩しいスポットライトに目を細めて「ま、まさか私にこんな役が!」と頬に手を当てる“シンデレラごっこ”など出来ない、とても地味な役かも知れない。
未知を楽しむ気持ちがあれば、どんな役であれ巡って来たものを体験してみたくなる。
ずっと続く役はなく、一役買って味わい尽くすと新たな役がやって来る。
服を着替える位の気楽さで、ためらわず受け取る程に役は巡って来易くなる。
水道管の水を出て来ない様に押し留めて、「いい感じの水だけくれ!」と抵抗すれば、当たり前に流れは滞る。
いい感じも何も、水は水だからだ。
慣れ親しんだ役割に追加で似た役割を積み上げる時、評価の上昇や報酬の発生が起きたりする。
人はそうしたことには意味を感じて執心する。
逆に、真新しい未体験の役割は、積み上げで作った武器が即使えない場合もあるし、旨味があるかどうかも分からない。
どんな結果になるかの予測も出来ない。
それでもそこには、狙って起こすことの出来ない、虚空からの後押しがあるのだ。
未知が人を大きくする。
(2023/12/7)