《救済ドラマ》
ひょんなことから面白い発見や、気づきの起こる日常を過ごしている。
普段は表のポスターを眺めるのみで、通り過ぎることの多かったギャラリーに、ふと気が向いて入ってみた。
丁度行われていた展覧会は前半は花、後半は蜘蛛の糸を拡大して撮った作品を集めたものだった。
拡大し光に触れることによって生まれる、肉眼で目にする機会のない光景。
それを写真に収めたものが並んでいるのを鑑賞しながら歩いていると、写真を撮った方と来場者の会話が聴こえて来た。
「こんな風に撮れるのは、朝露が関係していますか?」
「朝露は関係ないですね。晴れた日に撮影しています」
「思いっきり開放で?」
「開放には一種類しかないですから、まぁ…思いっきりと言えば思いっきりですね」
「開放で」
「ええ、思いっきり開放で」
開放とは、カメラの操作に関する用語で、レンズの絞りを最も開いた状態のことを開放、又は開放絞りとか絞り開放と呼ぶ。
思いっきり開放と言うワードが気に入ったのか、撮影者の方が重ねてそう言っているのを聴きながら、
蜘蛛の糸
開放
光
そうしたキーワードが、あっという間に所定の位置に収まり、気づきのパズルが出来上がって
「成程」
と、なった。
目の前に並ぶ、蜘蛛の糸が揺れる動きの一瞬を捉えた作品達は、様々な色彩を透過する結晶に似た姿を暗闇の中に浮かび上がらせている。
まるで光で出来た宝石の様だ。
瞬間によって、その色合いは異なり、形も変化する。
三次元的には、殆ど無色透明に見える蜘蛛の糸が、風に揺れているだけの姿に見える。
だが拡大してみれば、そこには色とりどりの光が生み成すドラマがある。
芥川龍之介が書いた小説では、蜘蛛の糸は救済のアイテムになっていた。
それを掴みかけた男が、自らの不安や怒りで生み出した揺らぎによって、また地獄に落ちて行く。
全編通してみるとそこには、ドラマがある。
救済という動きが持つドラマ性を、目の前の写真達は見事に表現していた。
そして、個の都合を挟まない、完全に開放された状態、つまり虚空の観点でその光景を映す時。
派手な救済ドラマも、煌めくプリズムの様に観えるのだ。
開き放って、観てみよう。
(2024/12/16)