《持ちと分》
目を覚ますと、それまでは何も感じずに通り過ぎていただろうことに、ふと気づいて新鮮に驚いたりする。
先日も、そんなことが起きた。
「気持ちと気分って、持ち分か!」
これだけだと訳が分からないと言うか、「それがどうした、だから何だ」となられる人が居ても不思議ない。
だが、どんな気持ちもどんな気分も、基本は個々の持ち分なのだと分かれば、モノコトの見方感じ方は随分とシンプルになる。
気分や気持ちの共有を求めて範囲を拡大しようとしたり、逆に他所から背負い込んだりと言った動きがなくなり、様々なエネルギー漏れがなくなる。
人と人とが、全く同じ気持ちや気分になることは、ないのだ。
たとえ相思相愛ですと言う間柄でも、気持ちや気分はそれぞれに属する。
このことを「所詮は個が持ってるだけの部分なのよ」などと、軽んじる必要はない。
わざわざ個に分かれて、わざわざ体験してみているのである。
中立な意識で味わえば、気持ちも気分も、実に沢山の体験の機会や理解のヒントとなる。
気持ちと気分についても心と真の様に、そう言えば面白いものだと感じて調べてみた。
「気持ちのよいお付き合い」などと表現する時には、「気持ちのよい」は「気分のよい」と近い、心の状態がすっきりてして良好だと言う意味になる。
「気持ちよい」の使用法はこれだけではない。
「気持ちよく眠れた」と言ったり、温泉、整体、ヘッドスパやマッサージなど体に作用するものについても「気持ちよい」は使われる。
良い場合にはこの様に使い方の差が生まれる。逆に悪い時にはどうだろうか。
「気持ちが悪い」と表現出来るものの一つには、眩暈や吐き気などを伴う体調不良がある。
その他に、苦手意識から嫌悪感が生じる状態も「気持ちが悪い」を使って表現したりする。
虫や蛇や、時には人に対してもこの表現が用いられることがあり、縮めて「キモい」として、印象を軽めにしてお出しする工夫を見せていたりする。
軽めだから気軽に放ち易く、一方で言われた方は重く受け止めたりするので、「キモい」は人間関係を掻き乱し事態をややこしくする効果のある言葉の一つと言える。
比べて見ると「気分が悪い」の方も気持ちの時と同じく、体調不良の状態を表現する時にも用いるが、嫌悪感を示す使い方をする時には「失礼な態度を取られて気分が悪い」と言う風に、苦手意識とは関係がない。
気持ちが悪いと言われて、気分が悪い。
なんてことも、あるだろう。
並びを逆にした、
気分が悪いと言われて、気持ちが悪い。
なんて動きは、有り得るのだろうか。
気分を害したと相手が怒って来たことを「キモーい」と感じる、と言った風に。
気持ちと気分はどちらも持ち分と言う「部分」ではあるが、この様に用いられ方が微妙に違って興味深い。
どんなはたらきをしようと、気持ちと気分の取り扱い方は、先にあげた様に個々のものだと分かることで簡単になる。
モノコトの見方や感じ方がシンプルになる時、周囲から流れて来る気持ちや気分による影響は自然と減って行く。
意識を通過する気持ちや気分の変化についても、静かに観察することが可能となる。
良し悪しも
掴まえなければ
流れて行く。
(2024/6/10)