《担を知る》
この世に一つとして、同じ人生はない。
つまり、何から何まで丸ごと同じと言う立場はない。
たとえ瓜二つの、一卵性双生児であっても。
出会う人も行く道も人により違い、全く同じにはならない。
その為当然に、時に応じてそれぞれで担当する役割も違って来る。
集団に所属する特定の人物を好んで応援する時に「担当する」と表現するのを、時たま見かける。
奇妙な表現だと興味が湧いて、気づいたことがある。
「担当」の表現には“お仕事感”がある。
恋愛感情に似た好意を表向きには出さない意向で、そうしているのだろうか。
不思議なことだと眺めていた時に、ふと、人間には役割を求める性質もあるからかと気づいた。
覚めぬまま意識状態が込み入っている人は、仕事で与えられる役割としての担当に対しては、やらされている感、場合によっては被害者感まで発生する。
そうした人であっても、楽しいと感じるものについては自主的に「担当」の表現を使う。
面白いことである。
役割があることにして、好む対象と自らとの縁を結びたいと言う、願掛けみたいな気持ちも感じる。
好き嫌い関係なく、やらされてる感も下心もなしに、中立な意識で自らを取り巻く環境や、巡って来ている機会に意識を向けて観察してみると本来の担当が分かる。
その簡単な試み方を、ご紹介してみる。
役割を得ようとか、作り出そうとするのではなく、只、周囲にあるヒントを中立に、そして気楽に観る。
そして、一旦そこから意識を離す。
山や川、街でも樹々の多い、ゆったりと落ち着く場所で、今この瞬間の歓びを味わって過ごす。
誰かの為にと言う「情」や、これがこれこれこうだからと言う「考」の挟まらない、フラットな状態に意識を置く。
すると早ければその場で、又はその後ひょんな時に、今の今自らが世の中で果たす必要のある役割、担当する役割にはっと気づくことがある。
全体の中で、どこを担当しているか。
これを理解することによって、行動する道が開けてくる。
季節の変わり目に、現時点でご自身の担当する役割を確認することは、日々を充実させる土台作りとなる。
担当は皆当たりにて外れなし。
(2024/8/29)
8月のふろく その2《秋のお出かけメモ》
現時点の担当を知るにあたり役立つメモをこしらえました。
実にゆるい仕上がりになりました。
担当することについて気負う必要は全くないからだそうです。
上の葉っぱにはゆったり落ち着く場所として、どこに行かれたか。
真ん中にある帽子みたいなゆるい山には、そこで過ごして感じたことや気づいたこと。
下のリボンにはその場か後日に“発見”した担当する役割。
この3つをそれぞれお書き頂ける様になっています。
お近くでも、ちょっとしたひと時でも、出来る範囲で気楽にお出かけを、楽しんでみられて下さい。