《恥の不思議》
恥無し、恥隠る、恥の上塗り、恥をかく、恥を曝す、恥を知る、恥を雪ぐ、恥も外聞も無い、生き恥、死に恥。
恥を使った言葉は、沢山ある。
これらの表し方をヒントに、恥についてより深く知ることが出来そうだと眺めているのだが、中々面白い。
恥を雪ぐとは、「受けた恥をぬぐい消す。名誉を取り戻す」意味であるそうだ。
雪ぐは濯ぐとも書き、水で汚れを洗い落とす、すすぐこと、転じて恥や汚名を新たな名誉を得ることによって消すことを意味する。
ここでの恥は、汚れの仲間に分類されている。
水で洗ってすすぐなら、良くなる何かを加える動きではないはずだが、名誉を得たらキレイになるってどんな仕組みになっているのか。
もしかして、名誉って洗剤とか柔軟剤みたいな役割を果たすのか。
そう言えば洗剤がない時代にはどうやって汚れを落としていたのだったか。
あれこれ意識を向けていて、
「汚れを落とす」
の表現もある様に、やはり恥を雪ぐも外したり除いたりする動きであって、加えたり重ねたりするものではないだろうとなった。
しかし不覚社会的には、名誉トッピングでどうにかなると言う。
訳が分からない。
もしかして人類、恥についての認識、割とふわふわしている?
この様に恥について調べる程に、どうにも奇妙なことが沢山出て来る。
恥も外聞も無いも、不思議な言葉だ。
外聞がよろしくないことで恥をかかされたりするのに、「恥も外聞も」と並べて書いていると言うことは、
恥≠外聞
それではと、外ではなく内に聞を合わせた「内聞」を調べて確認してみた。
内聞は、内々に聞くことや、非公式に身分の高い人の耳に入ることを意味する他、表沙汰にしないことの意味も持っている。
内分と同じで、「御内聞に願います」と使ったりするらしい。
恥と内聞も別に同じではない様子。
だが「恥も外聞も」と、わざわざ別にして並べる所には、恥かどうかの決定が行われるのは意識の内であることが表れている。
生き恥とは「この世に生きているために受ける恥」のことだそうだ。
生き恥の対語となる死に恥は「死後に残る恥」であるそうで、生き恥が死後にそのまま死に恥に部署移動するパターンもあるのだろう。
こんなに色々言葉を作ると言うことは、人間はずっと恥に興味津々だったのだろうか。
ふと、気づいた。
どんな恥も、維持する為に必要なことがある。それは、
覚えておく、と言うこと。
もしかして恥は記憶を意識に留める為の、装置の一つとして機能しているのだろうか。
何とも入り組んだ、奇妙なことである。
エゴが思い描いた作品?
(2024/4/8)