怖れとズレ》

 

百の趣味を叶える為に、夫婦揃って三百年も五百年も生きる量見でいる。

 

そうした願望を作品に登場する人物の言葉を通して表し、自身も生涯を通じて長生法の研究に勤しんだ弦斎。

 

そのやり方が、本来の伴侶である自らの御神体無理を強いると言う大分明後日な方向にズレていたことは、本人も幾らかは承知していた様である。

 

 

雑誌の連載記事の中で自身についてこんな風に書いている。

 

「さう申す私自身さへ、長生法を研究するのが一つの道楽になってゐますけれども、それでは長生欲が最も盛であるかと顧みるのに、長生欲よりも長生法の研究欲の方が遥かにさかんなので、それが為めに種々の事を自分の身体で実験しては毎度失敗を累ねています。家人や朋友がしきりに心配して止めますけれども、失敗をおそれては何事も実験が出来ません。」

 

自分の身体で実験して行う研究が道楽。

 

夫人との百の趣味は何処に行ったのかとなるが、心配して止める側となっている家人には、趣味に勤しむ時間はなさそうである。

 

止めてもきかないなら意思の疎通が困難となっている訳で、これはもう趣味以前の話になる。

 

筆まめで、妻に宛てた400通を超える手紙が残っている弦斎。

 

 

関東大震災が起きた後に書かれた手紙の中にも、意思の疎通が出来ていないことを覗わせる奇妙なズレを見つけた。

 

丁度長野と東京とに離れて暮らしていた時にこの体験をした村井夫妻。

 

弦斎は地震の現場となった東京に居る家族が皆無事であることを、数日後にどうにか長野まで訪ねて来た長女の夫から聞いている。

 

その後に書かれた手紙で、この未曽有の事態について「実に何とも彼とも言い様の無い天災」としつつ、

 

「深く考えると人間が人為的に潰れる様な家を拵えて住み、焼ける様な家に住むからです。(中略)蟻の巣や蜂の巣などは震災など平気なものです」

 

 

とか、そりゃそうなのかも知れないがその情報要るかなとなる様なことや、出来るなら留守を誰かに頼んで休息においでなさいと言った呑気なことを書いている。

 

そこから次第に東京の惨状を詳しく知る様になったそうだが、夫人からの手紙を読んで涙は流しても長野からなかなか動かない

 

東京に戻ったのは地震が起きてひと月以上経った、10月上旬になってからだったそうだ。

 

大事な妻の元に矢も楯もたまらず飛んで行くと言う訳でもないのかと奇妙な手紙と併せて不思議だったが、彼の人生について根気よく観察していてこれも又、別の気づきの生まれるヒントとなった。

 

こうしたズレがあっても6人の子の父母となり、傍から見ても子達から見ても仲睦まじい夫婦と思われていたそうなので、当人同士の間では分かり合える部分もあったのだろう。

 

 

弦斎の意識御神体の間にも、やはり何らかの相互理解はあったのだろうか。

 

とは言え無理を強いていたのはズレてる本人さえ気づいていたことで、長生法の研究の為に、木食に加えて山小屋に籠もったり、仙人みたいな暮らしも試みたそうだが、体はそれほど丈夫にならず神経痛やら痔やらずっとあちこちガタピシしている。

 

そんな弦斎の人生に最大の影響を与えた病は、何と言っても脳病のうびょうではないだろうか。

 

躁鬱とか神経症とか不安障害とか現代では色々に分けられるものを、当時はまとめてそう呼んでいた。

 

 

両親からの期待を背負って幼いうちから頭に知識を詰め込みまくった為か、弦斎は13歳で脳病となり飛び級で入った学校(現在の東京外国語大学)を退学している。

 

そこから療養して立て直し、洋行で再発して崩れては立て直しして、『婦人世界』時代にも又、再発させている。

 

人生の大部分を通じての付き合いになった病であり、「神経敏捷で霊感あるかと思ふほど第六感の働く」と言われた鋭さも、不安に追い詰められて生まれたものだったのではないかと感じる。

 

からではなく、病への恐怖から出て来た霊感や研究欲なら、やはり恐怖を消そうとする方へ躍起になって使われる。

 

それは当たり前にズレを大きくする。

 

 

ズレながらの情報受信や研究なので、病や不運、死への恐怖は残ったままになる。

 

ずっと怖いので、病や不運、殊に死を感じさせるものに勘付くと、なるたけそこに近づかない様にする。

 

先に書いた別の気づきは、震災後になかなか東京に戻って来なかった話と、病の治療で実妹が上京した時にその世話を夫人に任せて、断食実験の為にと言って彼本人は会わなかった話、遡って青年期に病気で入院した親友の世話を父親に頼んた時も、彼自身はやはり会わなかったと言う話を並べてみて起きた

 

妹も親友もその時の病で、亡くなっている。

 

訃報を知った時には涙を流したそうで、事あるごとに泣く男だが、死や死を目の当たりにすることが弦斎はとても怖ろしかったのではないだろうか。

 

それがあるのでは感じると、近寄ることが出来ない程に。

 

怖いから避ける怖いから防ぐ

 

だがどんなに怖かろうと、怖いと感じるものに対して向き合える人も居る。

 

どれ程研究熱心であっても、自身が何を怖れているか、その為に向き合えていないものがあるかと言ったことを包み隠し、無いことにして“失敗をおそれずに”する研究って、何の意味があるのだろうか

 

それで身体だけ危険にさらすことも辞さないと言うのは、やはり相当にズレた行いであると言う気がする。

 

一体何処から、見たいものだけ見る癖が生まれて感覚がズレ始めたのか。

 

彼の人生上に起きた出来事を作家になる前、洋行する前と少しずつ遡って行き、やっとそのズレの元発見した。

 

次週はそれについて書かせて頂く

 

ズレあるところに、なかったもの。

(2023/11/23)