《心に耳を?》
「そう言えば、何て不思議なものなんだろう」
目が覚めると、それまで気にも留めていなかったことの不思議さに気づき、急に興味が湧くことがある。
本日記事ではその気づいた不思議の一つについて書かせて頂く。
一体何のことだかお知らせする前にまず、「それ」について分かっていることを申し上げてみる。
指名手配書でも見る感じでご覧頂きたい。
それは不覚社会に根深く浸透している。
それは人によっては非常に強い力を持って行動に影響を及ぼす。
それに殆ど影響されない人々も居る。
それを与えたり受け取ったりする人は多い。
それに影響されない人には与えられない。
それはかいたりかかせたり出来る。
それの上にそれを塗り重ねることも出来る。
それを知らない者に知れと言っても、ほぼ知られることはない。
それは強弱の幅が広く、強いと死に値する程、弱いと可愛い感じに収まる程になる。
さて、この「それ」とは何だろうか?
お気づきの方もいらっしゃるだろうが答は、恥。
一体何でまた、耳と心がドッキングしたこの恥を、多くの人はとても恐れるのか。
その一方で「恥知らず」と呼ばれる動きをする人も一定数居る訳で、恥に絶対的な力がある訳ではない。
そしてとても不思議なのが、恥とはどうやら掻けるものなのだ。
掻くって、一体どう言うことなのだろうか。
掻かせるにしたって、掻くのはあくまで本人。
狙った相手を引っ掻いて直接恥の跡をつけることは出来ないのだ。
だから、恥を知らない人についてはどうすることも出来ないのだろう。
「何て面白いんだ、恥」
と、恥の字を眺めながら唸った。
この“恥”と感じることによって、人は行動したり行動を止めたりする。
やる必要がないことを慎んで抑える場合もあるし、
やる必要のあることを躊躇って誤魔化す場合もある。
人間は、一体何を恥とするのか。
そこに共通するものはあるのか。
次回はそれについて書かせて頂く。
聞いているのかいないのか。
(2024/3/18)