《微を聴く》
本日は3月3日。
上巳の節句や桃の節句と呼ばれる雛祭りの日でもあるし、3と3の語呂合わせなどから耳の日とされてもいる。
雛祭りとしては、邪気を払う蓬入りの草もちを食べたり、この時期に咲き、同じく邪気を払うとされた桃の花や雛人形を飾る。
女の子の成長と幸せを願う所に邪気邪気と言って来るのは、この祭りが生まれた当時は子が育つことのハードルが結構高かったことを表している。
怖れから始まって、気をつけまくっているうちに、当家はこんなに立派なお雛様を用意出来ますと言う、誉れの要素が次第に濃くなって来たのだろうか。
とすれば、実に人間臭い面も持つ行事と言える。
ともあれ、ビッグお雛様セットを誂える一部のご家庭以外は、世の中はおおむねライトな感覚でこの早春の祭りを、ふわっと気軽に楽しんでいる様子。
冬の気配が薄くなり、ピンク色のパッケージで様々な商品が出回るのを見て、心弾む人は多いのだろう。
あちこちの店でそうしたコーナーを見かける。
その一角を眺めていて、
「小さな女の子……耳……聴く……」
と、幾つかのヒントが意識の中をくるくると回り、「あ!」となった。
とても小さく、微かな、女性性の声を、丁寧に聴くこと。
全体一つの流れに沿う時、これが3月3日における重要なテーマであることに、改めて気づいたのだ。
古くにはお転婆と言う表現があり、おませさんで口が達者とか、女三人寄れば姦しいなどの言い方もある。
人型生命体の言動に着目すると、小さな女の子だから必ず静かである訳もなく、これはあくまで象徴としての話になる。
とても小さく、微かな、女性性の声。
これは、分割意識が絶対的に自分が正しいと思い込んでいる場合、聴くことも聞くことも非常に難しい。
元々、御神体からのメッセージは喧しくも押しつけがましくもない。
意識が静かにしていなければ容易く聞き逃す程、さりげないものだ。
これを本気で聴こうとする時、内側は静かになり、集中力が発揮される。
言い分や物の見方など、何かしらの偏りを持っているなら、その全てを一旦脇に置いて、丸腰で向き合う時。
最も必要なメッセージが、自然と伝わって来る。
微かな声に満ちる愛。
(2025/3/3)