《役から役へ》
先週記事にて書かせて頂いた無罪判決について、重要と感じる点を新たに発見したので本日記事でご報告申し上げることにする。
事件当時ご本人は、ボクサーとしてリングに復帰することもお考えだったそうだが、当時30歳。
意識の中に「歴史に残るような、人生をかけた大一番に勝つこと」と言う望みと、同時に「体力的なピークは既に過ぎたのではないか」と言う不安があれば、揺らいだ拍子に合わさって化学変化のようなものが起こる。
それが半世紀を超える闘いとして、思ってもみない形で機会が巡って来ることに繋がったのではないだろうか。
お姉さんについても、似た巡り方を感じている。
昭和時代に、結婚して夫に従うのではなく、自主独立して難しいことを成し遂げたいと言う望みが、健康的で行動的な人物の中にある。
同じくそれが半世紀を超える闘いとして、思ってもみない形で機会が巡って来ることに繋がったのではないだろうか。
勿論これはオーダーミスなどと言う話ではない。大体、あらゆるオーダーにミスなどない。
結果としてこの長い闘いを経て自由を取り戻したお二人は、他の冤罪事件に向き合う人々にとって、希望の光となっている。
全体一つの流れが生み出す味わい深さに、感謝で手を合わせるのみである。
支援者へ向けた挨拶の席で、ご本人が仰られていたことが興味深かったので、以下に引用させて頂く。
「無罪勝利ということで 検察も認めたということでございます
これからの闘いにおいては
政治的に社会的に秩序を守っていく
これが根本的なものでございます
どこまで闘いに勝てるかということで
よろしくお願い致します
(姉:ありがとうって言いな)
ありがとうございました 」
世の中では、モノコトが上手く運んだ時に挨拶をする機会があれば、
「皆様のおかげで……」
と周囲の尽力を主にして、自らの努力については印象を霞ませることが多いんじゃないだろうか。
政治や社会にも意識を向けた発言が出来るのに、促されるまで「ありがとう」の言葉は思いつかなかった所から、ご本人にとってこの闘いは、
あくまで自らが行って来た、そして現在も行っているもの
だと言うことが分かる。
勿論、周囲からの支援を軽んじている訳ではなく、多くの人の協力もあって実った勝利であることは、分かっておられるはず。
それでも、誰かに勝ちを恵んで貰ったのではなく、己で打ち勝ったのだと言うことをはっきりと表明している。
そしてその闘いに終わりがないことも、表明している。
この方にとっての闘いは、自分の分が終わればイチ抜けして離れたい苦役ではなく、人生のテーマとなっていることも分かる。
それはお姉さんについても同じなのだ。
別の会見で、こう仰られている。
「巌だけ助かればいいと思っておりません
えん罪で訴えている大勢の方が泣いております
その方をも再審開始になるようにお助けしたい
年だなんて言っておれません、ともかく元気なうちは
命のある限りは闘ってまいります」
彼らの闘いは、敵とみなした相手を痛めつけて排除することを目的としていない。
闘うと言うことに、こんなにも全体一つの感覚で真っ直ぐに向き合うお二人であるから、この役割が巡って来たと理解して深く感じ入り、感謝した。
感謝をする時、手を合わせるだけで終わったりはしない。
それぞれに、やりきること。
宮司を名乗る“これ”もそうだが、彼らの存在と彼らの役割に真に感謝する者なら、誰であっても必ずそれを、己の役目を全うする力に変えるだろう。
役から役へ、伝わる力。
(2024/10/21)